今月の法話 令和6年の法話

今月の法話(令和6年7月)



(聖徳太子しょうとくたいし)申もうせし(人ひと)漢土(かんど)使(つかい)をつかわして法華経(ほけきょう)をとりよせまいらせて日本国(にほんこく)弘通(ぐづう)(たまひ)き。

『千日尼御前御返事』弘安元年7月。聖祖57歳(1218頁)

法華経(ほけきょう)(聖徳太子しょうとくたいし)

 今月の三日にお札(日本銀行券)が新しくなります。お札のデザインが変わるのは、平成16年以来20年ぶりだそうです。

 日本の紙幣の意匠には、多くの場合、歴史上の偉人たちの肖像画が採用されて来ました。その中で最も描かれた回数が多いのはご存じの「聖徳太子」。昭和5年に百円札の顔として初めて採用されて以来、戦前2回、戦後5回の、計7回登場しています。いずれも発券当時の最高額券(昭和32年から発行された五千円券、昭和33年からの一万円札券はともに)だったことからも、聖徳太子がいかに敬われ、親しまれて来たかが察せられます。

明治20年、日本武尊(やまとたける)などの7人が日本銀行券の肖像候補として選定されました。終戦直後の昭和21年、GHQは、日本政府に「聖徳太子以外は、軍国主義的な色彩が強いため、肖像として使用することを認めない」と圧力をかけました。この時、聖徳太子についても議論があったようですけれども、当時の一萬田日銀総裁は、GHQに対し「聖徳太子は『和を以て貴しとなす』と述べるなど、軍国主義者どころか平和主義者の代表である」と主張して、その存続についてGHQを押し切ったというエピソードがあります。(日銀ホームページ参照)。

 用明天皇2年(587年)、父である用明天皇の崩御により次の皇位を巡る争いが発生した際、太子は、戦勝を祈願して、四天王の像をつくり、勝利の暁には佛塔を建立し佛法の弘通に努めると誓われたとされます。推古天皇元年(593)、皇太子となった太子は、四天王寺を建立して、施薬院、療病院、悲田院、敬田院の四箇院を設置、翌年には「佛教興隆の詔」が発せられました。また、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書(「三経義疏」)を著されたと言います。御物『法華義疏』は、聖徳太子自筆と伝承されるものであり、現存する日本最古の肉筆遺品です。

 前述の「以和為貴」を第一条に掲げ、第二条に「篤く三宝を敬え」と謳う「憲法十七条」を制定されたのは推古天皇12年(604年)のことであったと伝えられます。「和」とは「やわらぎ」のこと。すなわち、和を以て貴しと為すとは、和合協調しましょう、ということです。「以和為貴」は、言葉としては『礼記』の「禮之以和為貴」や『論語』の「礼之用和為貴」を典拠としますが、その内実は、佛教精神に貫かれたものであると言えましょう。そう、聖徒団の「総和の人格」です。

 まず自分の家庭・家族が和合して幸せな生活を送るところに、小さな和合体が生まれます。これが総和の第一歩です 。そうした和合体に属する個々人がまた和して行くところに、ご本佛が形作られて行きます。あい対する人間同士が互いに和することにより「総和の人格」となってこそ、真の成佛相が顕われてくるのです。

 南無妙法蓮華経の信仰は、このことに気づかせてくださる大きな光です。

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