今月の法話 令和6年の法話

今月の法話(令和6年6月)


法華経(ほけきょう)(もうす)()(とれ)其手(そのて)やがて(ほとけ)(なり)(くち)(とな)ふれば其口即(そのくちすなわ)佛也(ほとけなり)

『上野尼御前御返事』弘安4年11月。聖祖60歳。(1245頁)

佛の手、佛の口


「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えることは、わたしたちの信仰の入口であると同時に、日蓮佛教の肝心要の信行です。

「法華経は手に取れば、その手はたちまちに佛となり、口に唱えるとその口はそのまま佛である」。

ここでの「やがて」は「すぐに、直ちに」という意味です。「いずれ」も同じような、近未来のことに用いますが、「やがて」は、その事態の実現が確実だと考えられる場合に使われます。

このように、因行と果徳(成佛の因となる修行と、その修行の果としての功徳)が同時であることを「因果倶時」と言います。日蓮大聖人は、この「因果倶時」であることをとても大切にお考えになりました。

花には、「前華後菓」と言って花が前に咲いて果実が後になるものや、「前菓後華」と言って果実が前になり花が後に咲くものなどがあるけれども、「蓮華」は特別で、果実のなるのと花の咲くのとが同時であり、だからこそ、佛は、すべての花の中から取り分けて「蓮華」を法華経のたとえになさった、と、表題の文の前に書かれています。

そして、「一切経の功徳は先に善根を()して後に佛とは成ると説く。かかる故に不定なり」と仰います。法華経以外のお経の功徳は、先に善い業因の花を咲かせて、後に佛の果実がなると説かれている。その故に成佛という果実を結ぶかどうかは決まっておらず定かではない、というのです。

「因果倶時」であること、すなわち即身成佛でなければ、確かな成佛とは言えない、と仰っておられるのです。

では、成佛とは何でしょうか。それは祈りによって、その人の言動そのものが佛の振る舞いとなって表れてくることです。

お経本を持ち、お題目を唱えるあなたのその手、その口は、やがて佛さまの手となり、佛さまの口となるのです。

いやいや、私はお題目の信仰はしているけれども、他人の悪口を言ってしまうことなどもあって、とても佛さまの手、佛さまの口とは言えない、と仰るかもしれません。

そんな時は、心の中でお題目を唱えてみてください。やがて、必ずや、あなたの手も口も、佛さまの手や口となることでしょう。

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