今月の法話 令和6年の法話

今月の法話(令和6年5月)


(ほとけ)になりやすき(こと)(べつ)のやう(そうら)はず。

『上野殿御返事』弘安3年12月。聖祖59歳。(1051頁)

(ほとけ)になりやすき(こと)


釈尊に須達(しゅだつ)長者という弟子がいました。須達とは古代インド語「スダッタ」の音に漢字を当てたもので、「給孤独(ぎっこどく)=孤独で貧しい人に物を施す」という意味。その名の通り、貧しい人に施しをすることで有名でした。

給孤独長者は、ある日、マガダ国に赴き、竹林精舎で釈尊の説法を聞きました。そして深く敬信の心を生じ、釈尊に、自身の居住地であるコーサラ国のシュラバスティー(舎衛城)に遊化を請い願いました。給孤独はそのために精舎(寺院)を建立する願を立て、祇陀(ジェータ)太子が所有する林苑を見つけて、土地を譲ってほしいと頼みました。すると祇陀太子は冗談で「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲る」と言いました。給孤独が本当に金貨を敷き詰め始めたので、祇陀太子は驚き、土地を譲った上に自らも樹木を寄付して寺院建設を援助しました。この僧園は、祇陀太子と給孤独の二人の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、その精舎は祇樹給孤独園精舎(祇園精舎)と称されるようになりました。

日蓮大聖人は、「佛になりやすき事は別のやう候はず。(かんばつ)にかわ(渇)けるものに水をあたへ、寒氷にこご(凍)へたるものに火をあたふるがごとし。また、二つなき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせ(施)にあふがごとし。(佛になる易しい方法とは、特別なことではない。喉が渇いている人に水を与え、寒くて凍えている人は火で暖め、一つしか無いものを他人に与え、命が尽きようとしている人に物を施すことである)」と記され、その実例として、給孤独長者について触れておられます。

「インドの須達長者は、七度貧乏をし、七度裕福になりました。最後の貧乏時代には家人も召使いもみな逃げ失せたりして、夫婦二人だけになってしまい、五升の米があるだけでした。その時、釈尊と迦葉、舎利弗、阿難、羅睺羅の五人の聖者が托鉢においでになったので、須達は五升の米を全部さしあげました。すると、その日から長者のもとには財宝が集まるようになり、ついにはインド第一の富豪となって、釈尊のために祇園精舎を造立したのでした。(趣意)」

このお手紙の対告衆である南条時光公はこの時、熱原法難(先月号を参照)によって主君から睨まれ、法外な税金を課せられて経済的に困窮していました。そのような中で「銭一貫」を大聖人さまへ供養されました。時光公自身は乗る馬もなく、妻子は着る衣服すらない。そのように家族が生活するのもままならない状況下でのご供養だったのでした。

祇園精舎の寄進で知られる須達長者の事歴に触れながら、大聖人は、五升の米の供養のことを取り上げられています。祇園精舎のことよりも、なけなしの米五升を寄進した須達(給孤独)を讃え、時光公の信心を称揚されたのです。

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