此の経典東北に縁あり云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁ありとは、豈に日本国に非ずや。
文永12年3月。聖祖54歳。(972頁)
本縁国土
「肇公の翻経の記に云く『大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し、右の手に鳩摩羅什の頂を摩て授与して云く、佛日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす、此の経典東北に縁あり、汝慎んで伝弘せよ』云云。予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦を徧す。此の経典東北に縁あり云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁ありとは、豈に日本国に非ずや。遵式の筆に云く『始め西より伝ふ猶月の生ずるが如し、今復東より返る、猶日の昇るが如し』云云。正像二千年には西より東に流る。暮月の西空より始が如し。末法五百年には東より西に入る、朝日の東天より出づるに似たり。」
肇公は妙法蓮華経の飜訳者鳩摩羅什の弟子です。羅什が姚秦の都長安の逍遥園において、国王の詔命に依って訳経した時の記録が肇公の『飜経後記』です。羅什の父を鳩摩羅炎と言います。羅炎はインドの名家の出で、今で言う国務大臣の職に在りましたが、出家して、佛教を東方に伝えることを目的に、ヒマラヤの嶮を越え亀茲国(今の中国新彊省付近)まで来たところ、王妹耆婆公主に見染められ、還俗して公主と結婚しました。二人の間の子が後年の大訳経家羅什です。母の公主は聰明な婦人で、羅什七歳の時に倶にインドに赴き、佛教を修めさせました。羅什は西域カシュガル地方の王子と伝えられる大師須梨耶蘇摩に師事しました。
「予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦を偏す」。何故日蓮大聖人はその一節を読まれて、このように感激せられたのでしょうか。
大聖人は、日本にふさわしい教えとして佛教を選び、法華経を択び取られました(「佛法は国に随うべし」『十章鈔』)。そして、須梨耶蘇摩の神秘な予言を、法華経という経典が求めている国が日本であることを示す、と受け取られました。国の求める法と法の求める国とが一致することが、大聖人に至大なる感激を呼び起したのです。
大聖人は、教・機・時・国・序の五つの観点から佛教経典を分析して判断され、法華経を最上最良の教えとされたのですが、その国判の結論は、右のごとく、法華経の「本縁国土」としての日本を見ることに置かれたのでした。
このように申し上げると、日蓮大聖人の佛法は日本の狭い国土を舞台とする宗教であるかのように受け取るかもしれませんが、そうではありません。日本が地球上のこの位置にあることは、人為を超えた約束であり、換言すれば、神の意志として受け止められるべきことです。
人類の理想は、磁石がいつも北を指しているように、畢竟その方向に進ませずにはいないものです。歴史の上で幾変転を繰り返しながらも「人間は神である」ということを、国民の斎風として伝えて今日に及んでいる日本の国柄はそれであると見るべきです。「人間は神である」ということを、この本縁国土に具現して行くのが、日蓮佛教の信仰です。