言は紙上に盡し難し、心を以て之を量れ。
『道場神守護事』建治2年12月。聖祖55歳(850頁)
心を以て之を量れ
『道場神守護事』は、富木常忍に宛てて書かれた御消息(手紙)であると推定される御遺文です。
「道場神」とは、帝釈天のことですが、それについて、天台大師の『摩訶止観』の文を引かれています。
「止観第八に云く『帝釈堂の小鬼敬い避くるがごとし。道場の神、大なれば妄りに侵嬈することなし。また城の主、剛なれば守る者も強し。城の主恇るれば守る者忙る。心はこれ身の主なり。同名同生の天これ能く人を守護す。心固ければ則ち強し。身の神なお爾なり。いわんや道場の神をや』」。
帝釈の堂を小鬼が敬って避けるように、道場の神である帝釈天が偉大であれば妄りに病に冒されることはない。また城主が剛ければ守る者も強く、城主が怖じける時は守る者も怖れる。心は身の主であり、同名天・同生天(倶生霊神)はよく人を守護する。心が堅固であれば天の守りも強い。身の神でさえそうであるから、まして道場の神はなおさらである。
このように、信心を固くたもっていれば、神の守護は強くなるのであるから、逆境にあったり悪いことが起こったとしても、それに心を掻き乱されたりすることのないように、と富木氏にますます信心に励まれるよう記されています。
そして、そのお手紙を、表題の文「言は紙上に盡し難し、心を以て之を量れ(くわしいことは手紙には書き切れません。心をもって推量してください)」と締めくくっておられるのです。
富木常忍は、立教開宗の翌建長六年、大聖人の化を受けて入信したと伝えられ、資性剛直、行学ともに篤く、外護の誠を盡くした大檀越でした。聖祖自ら「當身の大事」と称された法開顕の書『観心本尊鈔』を始め、『法華取要鈔』、『四信五品鈔』などの重要御書を賜ったことからも、大聖人からの信頼を得ていたことが察せられます。
「心を以て之を量れ」とは、後は察しなさい、書かなくとも貴方なら分かりますよね、という信頼の表現であると申せましょう。
「察し」は日本人の特長とされるところですが、神佛、大聖人のみ心を察するようになることは、なかなか難しいことかもしれません。
「心を以て之を量れ」るような、神佛から信頼される信心を目指しましょう。