鈍根第一の須利槃特は智慧もなく悟もなし。只一念の信ありて普明如来と成給ふ。
『法華経題目鈔』文永3年正月。聖祖45歳
一念の信
須利槃特は、十六羅漢の一人に数えられる釈尊の直弟子です。チューラパンタカ(パーリ語)と言い、周利槃特、周利槃陀伽などとも音訳されます。あるいは注荼・半託迦などとも書き、小道路、路辺生とも訳されます。
須利槃特は数多の仏弟子の中で、最も愚鈍であったといわれます。過去世の昔、彼は迦葉仏の聡明な弟子であったのですが、他者に一つの詩を教えるのを惜しんだ報いによって、釈迦牟尼仏の出世の時には、愚昧に生れついてしまったとされています。
須利槃特は、自分の名すら覚えられず、いつも周囲の人から笑われていました。兄の摩訶槃特は、弟を案じて釈尊の元で出家させ、自分が釈尊から聞いた教えを短い詩にまとめて覚えさせようとしましたが、須利槃特は4ヶ月経っても一偈も記憶できませんでした。見かねた兄は、須利槃特を還俗させようとしますが、釈尊はこれを制し、須利槃特に一枚の布を与えて「塵を除く、垢を除く」と唱えさせ、精舎を清掃させました。一念の信を以て掃除し続けた須利槃特は、ある時、落とすべき汚れとは、貪瞋痴という心の汚れであると気づき、天眼を得たと伝えられます。
仏の教えを疑いなく受け入れ、仏の眼に依って生きていこうとした曇りのない心が、須利槃特に、澄んだ、朗らかな悟りをもたらしたのです。須利槃特は、さとりを得て、賢くなったのではなく、仏の教えを自身の眼として一生涯を貫く人となったのでした。
法華経の五百弟子受記品第八に、須利槃特は「周陀」として登場します。優楼頻螺迦葉などの五百阿羅漢(五百弟子)の一人として、阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚。最高の覚り)を得る記別(佛が修行者に対して将来必ず成仏することを予言し与える保証)を受けたと説かれています。日蓮大聖人が、「悟もなし」と記されておられるのは、受記を得たとする法華経の説示に則られたからでしょう。
誰よりも愚かだった須利槃特がさとりを得たことに、周囲が驚いていると、釈尊が静かにこう説かれたといいます。
「悟りとは、多くのことを学ばなければいけないのではない。ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めて行くならば、さとることができるのである」と。
釈尊の救いが、もともと慧解脱ではなく信解脱であったことを、須利槃特の逸話が物語っています。
*『法華経題目鈔』は『日蓮聖人御遺文 全』の三四二頁以下に収録されておりますが、上記聖文の部分 は、照校の関係か、不掲載となっています。