当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは、秋の稲米、冬の菊花、誰かをどろくべき。
『可延定業書』弘安2年。聖祖58歳(1275頁)
秋の稲米、冬の菊花
「現代の女性が法華経信仰によって定業を転じて病気を治すことは、秋の稲米、冬の菊花のように当たり前のことであって、驚くようなことではない」という意味です。
「当時」という語は、過去の一時期を指すのに用いるのが一般的ですけれども、ここでは「今時」「現代」の意味となります。末法の時代を指しています。
定業とは、或る行い(業)をした時に、その報いとして起こる結果が定まっている行為のことで、そこから、この業によってもたらされた果報、決まっている宿命のこともいいます。
法華経を行ずれば、男女を問わず誰でも、定業を転換して、良い運命を得ることが出来る、というわけです。
『可延定業書』は、富木常忍の妻である尼御前に送られた書状です。病を患っていた尼御前に対し、その病状について四条金吾からお聞きになられた大聖人が、尼御前を慰さめられ、当病平癒の方途を示されたものです。
冒頭に、「夫れ病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医に値て急に対治すれば命なお存す。何に況や軽病をや」とあります。重病であっても、名医に急いで治療して貰えば、命を長らえることが出来る。
続いて「業に二あり。一、定業、二、不定業。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況や不定業をや」と説かれます。宿業で決定されている報いであっても、懺悔すればそれを消すことが出来る。
そして、正法時代の阿闍世王と、像法時代の陳臣と、釈尊の過去世である常不軽菩薩を例に挙げ、皆、法華経によって宿業を転じ、病を治し、寿命を延ばされたことを説示されます。
「彼等は皆男子なり。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿をのぶ。また陳臣は後五百歳にもあたらず。冬の稲米・夏の菊花のごとし」。三人は男性であり、女性ではなかったけれども、法華経を行ずることによって寿命を延ばした。冬に稲が実り、夏に菊の花が咲くようなもので、法華経によって救われるべき時代ではなかったのに、法華経によって救われたのである。
法華経は、末法の時代の衆生を救うために、教主釈尊が説き置かれた経典です。そして、当時(これは「その頃」の意味の当時です)、一般に、障(さまたげ)があって成仏しないとも言われていた女性の成仏を説く経典です。
その法華経を行ずるならば、女性の病が治ることは当たり前である、と。
大聖人の強い御信念を、特に女性の方に、味読して頂ければと思います。