ひとり三徳をかねて恩ふかき佛は釈迦一佛にかぎりたてまつる。
『南条兵衛七郎殿御書』文永元年12年。聖祖43歳。(1005頁)
三徳の釈尊
4月8日は、釈尊降誕会。お釈迦さま(釈尊)のお誕生日です。
仏教徒たるもの、釈尊を拝するのは当たり前なのですけれども、お釈迦さまではなく別の仏さまをお釈迦さまよりも大切に拝んでいる宗派がたくさんあります。むしろ、お釈迦さまを最も大事にする方が少数派とも申せましょう。
何を隠そう、日蓮大聖人さまのご在世でもそうだったのです。それを正そうとされた方こそ、大聖人さまであられました。
釈尊は、主・師・親の三つの徳を具えた仏さまである、そのような恩の深い仏さまはお釈迦さまだけである、と大聖人さまは仰います。
では、主・師・親の三徳とは何でしょうか。
「夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり、所謂主、師、親これなり。」
『開目鈔』の冒頭の一節です。
人倫として尊び敬うべき対象は、主、師、親の三である、と。その尊敬すべき三つの徳を一身に具えておられるのが、お釈迦さまなのです。お釈迦さまだけが、この三徳を一身に具えておられるのです。
阿弥陀仏などの諸仏も「主徳」はお持ちであると、大聖人さまもお認めになります。しかし、釈尊は、「主」の徳が諸仏に勝り、他の諸仏の持っておられない「師」と「親」の徳を持たれています。
諸仏には、それぞれに仏土があります。例えば、阿弥陀仏は西方極楽浄土、といったように。では、私たちの住むこの娑婆世界の仏は?
むろん、釈迦仏です。
「今この三界は皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり。しかも今この処はもろもろの患難多し。ただ我一人のみよく救護をなす。また教詔すと雖もしかも信受せず」(妙法蓮華経譬喩品)
かくの如く、釈尊は、私たちの父であり救護者であるとの名乗りを上げておられます。釈尊と私たちとは、父子の義で結ばれているのです。
主・師・親を兼ね具えたお釈迦さまを拝むということは、お釈迦さまに対して従者・弟子・子供としての立場、態度を取るということです。
主・師・親の三徳に対する従・弟・子の三道を行ずることによって、久遠の本師釈尊と、その本化の弟子である私たちの宗教的な関係が成り立つのであり、この本師本化の信仰から救済の事実(=現世利益)が生まれて来るところに、日蓮仏教の真価があるのです。
実は「佛に三徳をかふら(蒙)せたてまつるは凡夫なり」(『諸法実相鈔』)でもあるのですが、このお話はまた次の機会にいたしましょう。