女人となる事は物に随て物を随る身也。夫たのしく(楽)ば妻もさかふ(栄)べし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。
『兄弟鈔』文永12年4月。聖祖54歳(933頁)
女人となる事
3月3日は雛祭り。桃の節句とも言われ、女性の節句とされます。そこで、今月は、日蓮大聖人さまの女性についてのお言葉から、ご紹介します。
なお、雛祭りは中国の伝統的な行事に起源を持つ、人日(じんじつ。1月7日)、上巳(じょうし。じょうみ。3月3日)、端午(たんご。5月5日)、七夕(たなばた。7月7日)、重陽(ちょうよう。9月9日)の五節句が、江戸時代に公式な行事となったものの一つです。
上巳とは上旬の巳の日のことでしたが、三国時代に3月3日に定められたそうです。平安時代には、貴族の子女が、御所を模した御殿や飾り付けをして遊んだと言います。また、形代としての人形を川に流す「流し雛」をして、穢れ払いや厄災除けとしたともされます。
今日のように、雛人形が飾られるようになったのは、江戸時代からのようです。
節句にはもともと男女の区別はありませんでした、端午の節句の菖蒲を「尚武」に掛けて男子の節句となり、雛遊びとも繋がる上巳の節句は女子の節句となって行ったようです。
日蓮大聖人さまのご遺文の中には、女性の信者に送られた書状も多くあり、それに限らず、女性についてのお言葉も散見されます。右は、直接には先月と同じく池上宗長に宛てた手紙の一節ですが、兄・宗仲、そしてそれぞれの婦人に対しての文面ともなっています。
時代の制約がありますし、武家の婦人への言葉ですので、率直に申し上げて、現代人からこの言葉が発せられたならば、如何なものか、ということになってしまうものではありましょう。
大聖人御在世当時とは、人権に対する考え方、男女の在り方も変化しており、たとえ大聖人のお言葉であっても、令和の夫婦関係にそのまま当て嵌められるものではありますまい。
それでも、生存と並ぶ生命の最大目的である生殖を有性によって行う以上、男ばかり女ばかりでは人類は絶滅してしまいます。互いが互いを必要とすることは自然であり、必然であると言えましょう。すなわち、両性が存在する意義はその違いがあるからこそ、なのですから、その違いを互いに尊び合いながら和することが、夫婦の望ましい有り様ではないでしょうか。
その尊び合いの仕方は、それぞれの夫婦によって様々でしょうが、この聖語は、その願わしい姿の一つとはなりそうです。単に「夫倡婦随」と言ったのでは、古い、封建的なということになりかねませんけれども、それを遙かに越えた、女性性の本質の一面を表現した深みのあるお言葉であると言えるのではないでしょうか。
「日本国と申すは女人の国と申す国也」(『日眼女釈迦佛供養事』1204頁)という聖語も、この機会にご紹介しておきましょう。