万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず
『如説修行鈔』文永10年5月。聖祖52歳。(512頁)
吹く風枝をならさず
聖徒団オリジナルのお経本『新編 日蓮宗聖典』にも収録されている、大変よく知られた御遺文の一節です。前後をもう少し引きましょう。
「法華折伏、破権門理の金言なれば、ついに権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一佛乗となりて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれ(壞)をくだかず、代はぎのう(羲農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理を顕さん時を各各御らん(覧)ぜよ。現世安穩の証文疑ひあるべからざる者なり。」
以下に大意を記します。
「『法華は折伏をもって権教の法門を破す』という金言の通り、ついには権教権門の人々を一人残らず攻め落として、法王の家来とし、天下の万民がみな一佛乗となって妙法のみが繁昌し、万民が一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、吹く風が木々の枝を鳴らすこともなく、雨が土地を崩したりすることもなく、伏羲や神農の時代のように理想的な治世がなされ、今生には不祥の災難を払いのけ、人々はみな長く生きる方途を心得て、人も法もともに不老不死となる法理が顕現する。各自よくそれを見きわめよ。現世安穏の法華経の文は疑いのないものである。」
「吹く風枝を鳴らさず、雨土くれ(壞)をくだかず」という表現を、言葉の飾りと受け取ってはなりません。「不祥の災難を払ひ」とあるように、これは、風雨が災害を引き起こすようなことのなくなることを意味しています。
となれば、『観心本尊鈔』の「今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」が思い起こされます。『本尊鈔』に説かれた原理が、ここではより具体的に表現されているものと受け止めれば良いでしょう。「常住の浄土」である「本時娑婆世界」と「立正安国」とを繋ぐ表現が、ここになされているとも申せましょう。
天地自然を造り現し賜うた御本佛の自在神通力は、佛子である私たちにも授けられています。その顕れが人類の文化文明です。三大秘法への正信に立脚した万民総和の文化は、災害の興りようのない佛国土を顕現するのです。
尚、「羲農」の羲は伏羲(ふっき・ふくぎ)、農は神農(しんのう)。中国の神話時代の理想的な帝王のことです。伏羲、神農ともに、釈尊よりも以前の人物であることにも御留意ください。