正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし。
末法には無戒の者を供養すること佛の如くすべし。
『教機時国鈔』
弘安2年2月。聖祖41歳。全:p296 定:1巻p241
無戒
上の聖文の前には、次のようにあります。
「佛の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。像法一千年の次の日より末法一萬年は破戒の者は少なく無戒の者は多し。」
お釈迦さまがなくなられて以降は、正法、像法、末法と千年ごとに時代が変遷して行く。正法は持戒の時代、像法は破戒の時代、末法は無戒の時代である。言い換えれば、持戒から破戒へ、破戒から無戒へと仏道が変わって行く。このことをよく弁えねばならない、と日蓮大聖人さまは仰っているわけです。
普通に考えれば、これは、仏教教団の規律が緩んで、乱れて行く、ということです。それは、人間全体の資質が劣悪化するという下降史観によっているようでもあります。果たしてそうなのでしょうか。
人類の営みは、常・楽・我・浄の四徳波羅蜜を究竟目的としています。その文明は進化し、文化は発展して来ました。多少の弊害も起こってはいるものの、概ね、寿命が延び、経済的に豊かになり、人権が護られ、平和主義が浸透し…といったように、究竟目的が実現する方向に、世界の歴史は歩んで来ています。下降史観は、私たちの実感とは合わないと言わなければならないでしょう。
戒の時代から無戒の時代への変化とは、実は、そういうことではありません。初期仏教教団の戒律主義は、人間本来の性情を無視する不自然なものがあり、持戒出家道の仏教が無戒菩薩道の仏教へと切り替わる、ということなのです。
釈尊は、戒・定・慧の三学によって、人間の苦の根源である無明を打破されようとしました。戒は、人間の尊厳を正しく保持することによって、最高の人格を現実に示し、人間の内なる神を表現する方法であったのです。
不可能を希求する欲望の正体に気付くこと、欲望を切断し、放棄することによる解脱を、釈尊は指南されました。この方法は、心理的には成立するのですが、生理的には不自然なものでした。苦からの解脱の道は、自然に抵抗するのではなく、道を以て自然に順応するにあります。仏教は持戒出家道から無戒菩薩道に展開し、個人格の完成から社会人格の完成を目指すものへと遷移して行きました。大乗仏教が目指したこの方向性を完成したのが法華経であり、それを具現したのが日蓮仏教なのです。
肉食妻帯の(無戒の)僧侶の誕生は、仏教の大変革の必然だったのでした。