此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひ(振舞)をば応身如来と説かれて候へば、此経の一句、一偈を持ち、信ずる人は皆此功徳をそなへ(備)候。南無妙法蓮華経と申すは是一句、一偈にて候。然れども同一句の中にも肝心にて候。
『妙法尼御前御返事』
弘安元年7月。聖祖57歳。全:p1310 定:2巻p1526
我等が身、我等が心、我等が振舞
仏さまは、どこか遠くの知らない世界におわすのではありません。
私たちの身体が法身仏であり、私たちの心が報身仏であり、私たちの行いが応身仏である、というのが、日蓮大聖人さまのご指南です。
法華経にそのように説かれている、というのは、無論、直接そう書いてあるわけではありません。大聖人さまが文底(経文の奥底の深意)を読まれたのです。
私たちの身体とは何でしょうか。
私たちの身体は、生理という法則に依っています。自然界のすべての生物は、物質を体内に取り込んで体を構成するのに必要な物質を生成したり、物質を分解してエネルギーを取り出して活動したり、不要となった物質を排泄したりするサイクルを持っています。そして、成長したり増殖したりします。こうした生物が示す営み全体の生命現象とその法則が生理です。生理には何人も逆らうことはできません。例えば、過剰に栄養を摂取しながら痩せようとしても、そうは問屋が卸してくれないのは、それが生理に反するからです(女性の月経を俗に生理と呼ぶのは、生命を生み出す基となる、極めて大切な生命のリズムだからでありましょう)。
この、私たち人間の身体、生理、そしてその法則が、法身如来です。
私たちの心とは何でしょうか。聖徒のみなさんであれば、常楽我浄の四徳波羅蜜のことを聞いたことがあることでしょう。死なない生命、安楽な生活、自主自由、清浄で安穏な世界、この四つを求め、目指すのが、私たちの心です。この、人間の理想を実現するための文化活動の全てが報身如来です。そこで、私たちの心が報身如来であると大聖人さまは仰るのです。
私たちの振る舞いとは何でしょうか。私たちは、四徳波羅蜜の実現を目指し、総和の大理想に向かって行動します。総和は慈悲の結びつきです。この、和合を形成して行く慈悲の行動が、応身如来です。ですから、私たちの行いが応身如来であると、大聖人さまはご教示されるのです。
私たちは「三身即一の仏」なのです。それは、姿無く霊在するご本仏が、私たちの姿となって現れている、ということです。
このことを自覚すると、我が身、我が心、我が振舞をおろそかにすることができなくなります。我が身、我が心、我が振舞を、佛の身、佛の心、佛の振舞としなければならないことに気付きます。
これが、南無妙法蓮華経です。だからこそ、私たちは、お題目を信じ、持つのです。