日蓮其身にあひあたりて、大兵ををこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。
『辨殿尼御前御書』
文永10年(1273) 祖寿52歳作 全:p1229 定:1巻p752
大兵
日蓮大聖人さまの弘通は確かに戦闘的でした。「大兵ををこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし」とは、まことに大聖人さまらしい物いいであろうかと拝せられます。キリスト教も、イスラム教も、実際に軍隊を率い、武力制服を以って一神教を弘通しましたが、日蓮大聖人さまの場合は、もちろんそうではありません。大聖人さまの戦いは、正義と言論の戦いであり、武器を取っての戦いではありません。
しかし、法敵のために夥しい犠牲がでました。何故にその必要があったのか。その意味が解らないと、日蓮仏教の性格を理解することはできません。
宗教は、個人の安心立命を目的として、国家社会の正しい成立については、ほとんど無関心であるのが普通です。日蓮大聖人さまは、個人の真の安心立命は、国家の政治、経済、産業等の裏付けがなければ本物とならない、とお考えになりました。
現実の生活、すなわち国家社会との繋がりを離れて成立する安心立命は、忍従やアキラメを美化する観念の養成であって、真実に生活を安らかにすることにはなりません。強者の横暴が容認せらら、特権階級の専恣を押し付けられる国家社会に、真実の平安があろう筈はありません。日蓮大聖人さまが、立正安国の理想を掲げ、武家政権の前に立ちはだかったのは、その為です。
表面は、仏法の邪正を糺し、現世逃避の念仏思想や、悪平等鼓吹の達磨禅や、仏教の簒奪者である真言の邪法や、人間の性情を曲げる偽善の律宗の破折にありましたが、それは「佛法は体のごとし、世間はかげ(影)のことし。体曲がれば影なゝめなり」(『諸経与法華経難易事』)という思想に立たれて、国家社会の姿態を思想の根本から匡正しようとする手段でした。故に、帰するところは、武力政治に終止符を打たんとする運動であったのです。
素手で武力に対抗することは、如何にも無謀のように見えます。しかし、近世の聖雄マハトマ・ガンジーも、非暴力によって武力に対抗し、インド独立の目的を果たしました。日蓮大聖人さまの戦闘的規模はもっと大きいのです。故に今も進軍途上にあります。今日の敵は、世界の平和を阻む無思慮です。私たち日蓮門下は、世界国家成立の根固めをしなければならないのです。