今月の法話 平成29年の法話

今月の法話(平成29年2月)

いのちもうもの一身いっしん第一だいいち珍宝ちんぽうなり一日いちにちなりともこれをのぶるならば千万両せんまんりょうこがねにもすぎたり。法華経ほけきょう一代いちだい聖教しょうぎょう超過ちょうかしていみじきともうすは寿量品じゅりょうほんのゆへぞかし。
『可延定業書』
弘安2年(1279) 聖祖54歳作 全:p1275 定:1巻p862

生命

法華経の如来寿量品には、釈迦牟尼仏の久遠の生命が説かれています。例えば、お自我偈に「自我得佛来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生 令入於佛道 爾来無量劫 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法」とあるのは、まさにその趣旨を説いた代表的な箇所です。

ところで、寿量品には「如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退たい、若しはしゅつあることなく、在世および滅度の者なし」とも説かれています。「如来は三界の実相をありのままに知見する。生れるということもなければ死ぬということもなく、この世における存在もなければこの世から滅するということもない」という意味です。生まれることもなければ死ぬこともない、とは一体どういうことでしょうか。

父母の交配を機として受胎があり生命が始まることは、誰でも知っています。けれども、それは生命が世の中に現れてくる手続きであって、生命そのものを人間の能力によって造っているのではありません。何故に精子と卵子の結合によって新しい生命が生まれるのかは、神の神秘なのです。

私たちは肉体をそのまま生命だと思い込んでいます。だから生まれる時が生命の始まりで、死ぬ時が生命の終わりだと考えてしまいます。しかし、それは、日の出が光の始まりで、日の入りが光の終わりだと思うような錯誤です。肉体は生命の活動を表す方法であり、生命そのものではありません。肉体が老廃すれば、新しい肉体と交換して、生命は続いて行くのです。

生死を離れた神の生命の中に自分自身を発見することが覚りです。この発見は、知識ではできません。それを発見させてくれるのは、信仰のみです。南無妙法蓮華経の祈りによって神秘に触れた時、寿量ご本仏を知ることができるのです。

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