今月の法話 平成29年の法話

今月の法話(平成29年1月)

そもそくるまもうすは、本迹二門ほんじゃくにもん妙法蓮華経みょうほうれんげきょううしにかけ、三界さんがい火宅かたく生死しょうじ生死しょうじと、ぐるりぐるりとまはり(廻)そうろうところのくるまなり。ただ信心しんじんのくさび(轄)にこころざしのあぶら(膏)をささせたまいて、霊山浄土りょうぜんじょうどへまいりたまふべし。
『大白牛車書』
建治3年(1277) 聖祖56歳作 全:p1032 定:2巻p1412

生死しょうじ

仏教は因果と業の教えです。従って、私たちの今生の宿命は、私たちの前世の業を因とする果ということになります。

私たちには前世の記憶はありません。ですから、前世のあったことを得心することはなかなかできませんが、自らの人生において宿命(さだめ)を感じたことがない人は恐らくいないことでしょう。この世に生まれ出た途端に、吉凶禍福の運命は私たち一人ひとりの上に現れています。赤ん坊に責任はありません。前世の約束というほかないのです。

同一の宿命を持って生まれてくる人はいません。国籍、性別、家柄、容姿、能力等々、私たちは、様々なさだめを持って生まれてくるのですが、これは、自業自得といって、自分の行い(業)の結果を自分で受け取っているのです。

前の世があって、その結果を此の世で受け取るのであるとするならば、この世の結果を受け取る後の世もあると考えられるのは当然です。

結局のところ、私たちの人生は舞台のようなものです。楽屋裏に控えていて、生を得て人生という舞台に立ち、死によって幕を閉じてまた楽屋裏に戻るのです。

演劇の世界では、俳優は役柄を上手に演じることが肝心です。悪役であれば、本人の善悪にかかわらず悪を演じ、それが真に迫っていればいるほど、世の評価を得ることになります。

しかし、人生という舞台の場合は、悪を業として評価されることはありません。評価をくだされるのは、仏さまだからです。

いくら世渡り上手にしても、悪人には悪の酬いしかありません。反対に、世渡り下手でも、善人は善の果報を受けます。此の世限りではありません。必ず未来があるということは、人生の大きな希望です。

因果応報、三世両重の因果は、諦めの思想ではありません。人間が悠遠の希望をかけて、立派な行いができるという真理です。慌ててはなりません。

南無妙法蓮華経の信仰は、三界火宅、此の世は火事の家のようなものだという、その猛火を消し止めて、現在の満足と悠遠の希望と併せて受け取ることのできる道です。この信仰は、決して希望を失わせません。必ず不可思議微妙な救いの手が現れて、苦から救ってくださいます。この世の護りを受ける人は、悪に走ることなく、善を貫くことができます。現世も霊山浄土、後世も霊山浄土です。

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