諸木は枯るると雖も、松柏は萎まず。衆草は散ると雖も鞠(菊)竹は変せず。法華経も亦復是の如し。
『守護国家論』
正元元年(1259) 聖祖38歳作 全:p572 定:1巻p102
無常と常
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」 『平家物語』の冒頭の名高い一節です。こうした「無常観」こそが仏教の真髄であると、長年信じられて来たのですが、果たしてそうでしょうか。
「諸行無常」は、確かに三法印、四法印の一であり、仏教の基本的な教理です。しかし、それは、万物は変化する、ということであるのに、右のような「必衰」、下降の方に力点を置きすぎたものに解されて来ました。「無常観」というより「無常感」と呼ぶべきものであったかもしれません。
そして、正しい「無常観」は、仏教の基礎となるものですけれども、大乗仏教の教えは、そこにとどまってはいなかったのです。
常楽我浄の四徳波羅蜜、すなわち、不滅の生命、安楽な生活、自主・自由、世界平和こそ、理想であり、真理であり、人類が希求するものであることを、大乗仏教は明らかにし、無常を超えた常住、無我を越えた大我を説き明かしました。
この四徳波羅蜜の実践の要道こそ、法華経です。
四徳波羅蜜は、人類の文化の目的である、所産です。自然は第一次の創造、文化は第二次の創造です。文化によらなければ、四徳波羅蜜は在前しません。文化には個人もなく、国境もありません。人類全体の福祉を創造することこそ、文化の本質です。文化には、物質と精神の二面があります。物心両面のバランスの上に築かれる理想世界こそが、浄土です。
過去の文化は精神に片寄り、現在の文化は物質に偏っています。歴史は、両者の調和に向かわなければなりません。物心二面のバランスとは、そのクロスにあります。仏心がクロスするとは、精神を軽んずるのでも、物質を否定するのでもなく、その相違を保ちつつ、統合・調和して完全な纏まりになることです。ここに人類が求める真理があります。法華経の説く正法とは、クロスに相違ありません。
日蓮仏教が他の宗教と違うのは、抹香臭くないこと、生臭くないこと、神仏任せにしないこと、人力を過信しないこと、精神主義に片寄らないこと、物質万能に偏らないこと、観念遊戯に耽らないこと、現実主義に陥らないこと、実相を中道(クロス)に見て、日々の生活に理想を盛り上げるところにあります。その具体的な方法が、日蓮大聖人さま所立の三大秘法です。人類の福祉はここにあります。