日女御前の御身の内心に宝塔品まします。凡夫は見ずといへども釈迦、多宝、十方の諸佛は御らん(覧)あり。日蓮又此をすい(推)す、あらたうたし、たうとし。
『日女御前御返事(第二書)』
弘安元年(1278) 聖祖57歳作 全:p1299 定:2巻p1515
心の正体
私たちは五感で物事を知覚します。しかし、五感で知覚できないものが世の中にはたくさんあります。中でも、最も判りにくいものが、自分自身の正体です。これが判れば、世の中の苦労はなくなるのですが、残念なことに、多くの人は、「元品の無明」という心の殻を切り開く術(すべ)を知りません。そのために、自分の持っている力を十分に発揮することができないのです。
人には皆、自惚れ根性があります。自分には取り柄があると思い、自分にはそれなりの能力があると思っています。口を開くと、何かの自慢をし、あるいは、口では謙遜しながら腹の中では自分はひとかどの者だと思いがちです。他人に自慢話をするのはいい気持ちのものですが、他人から自慢話を聞かされるのはどうでしょうか。面白くないばかりでなく、癪にさわるものです。それが判っているにもかかわらず、私たちはつい自慢話をしてしまうのです。
こうした事実は何を物語っているのでしょうか。私たち一人ひとりの正体は、天地の主体である寿量ご本仏そのものなのです。無明の殻を被っているので、本人は自覚していません。しかし、心の奥のまたその奥、心の一番深いところに、尊厳極まりない大霊仏がましましているのです。だからこそ、自尊心という不思議な気持ちが私たちの心を支配しているのです。
言葉を換えていえば、神の表面を無明の衣で包んでいるのが人間です。実体は神なのです。故に、我尊しの気持ちを全ての人が持っています。しかし、無明に覆われていますから、神の働きができません。人生の悲劇はここから始まっています。問題は無明です。無明を取り除けば万事解決します。釈尊はそれに気付かれ、無明の殻を破って、現身に神の境地を履まれました。そして、まだ無明の世界にさまよっている一切衆生を、神の境地に引き上げるために仏道を説かれたのです。その極意が法華経であり、法華経の不思議を学者の手から大衆の手に引き渡されたのが、日蓮大聖人さまの三大秘法です。
私たちは、神の生地に人間の模様を染め上げなければなりません。欲気も色気もそのままが人間の模様です。それを無明の生地の上に染めているので、欲気と色気が暗い働きしかしないのです。神の生地に移せば、それがそのまま真実となり、善良となり、美麗となります。南無妙法蓮華経は、その喜びの声なのです。一念随喜して唱えれば、皆、即身成仏します。