叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮がとがにあらず。
『日厳尼御前御返事』
弘安3年(1280) 聖祖59歳作 全:p1348 定:2巻p1819
叶う叶わないは信心による
霊験をいただくのは、物を貰うのとは違います。お布施を納めて祈願を頼んだから、それで成就する、というわけには参りません。霊断師の祈願は、お取り次ぎです。叶う叶わないは、皆さん方ご本人のご信心によります。
信心とは、真心をもって祈る純情であり、信心の強弱とは、その熱心さの程度です。純情であり、熱烈であれば、邪悪な願いでない限りは神仏に感応道交します。そう信じて疑わないところに、霊験が現れてきます。この道理を覚って、一心を通すのが祈願です。
倶生霊神符を着帯したから、自分に熱烈な信心がなくとも願いが叶うだろう、ご利益を頂戴できるだろう、と思うのは、信心の意味を理解していないからです。願いも叶いますし、ご利益も頂戴できますが、それは、皆さんの料簡次第なのです。
同じ倶生霊神符を着帯していても、ある人には不思議な利生があり、或る人には一向にご利益がないようなこともあります。神仏の守護にムラがあるのではなく、本人の信心にムラがあるのです。一番大切なのは、必ず心願が叶えていただけるという強固な信を持つことです。それは、平常の信仰によります。信仰は礼拝に始まります。朝に夕にご本尊さまへの礼拝を怠らず、真心をもって、ご宝前に荘厳・清掃し、供花・供物を捧げましょう。そして、日々に四誓願を実行し、できるだけ教団の維持に尽くし、他者を信仰に導いて聖徒団の発展を計り、聖徒の勤めを果たしてください。そこまでできる人であれば、いざという時に、たとえそれが少々無理な願いだとしても、叶えていただくことができるに違いありません。平時の信心がものをいうのです。
日蓮大聖人さまは、日厳尼からの依頼に対して、率直に信心の在り方を教えておられます。上聖文を含むお手紙は、短いものですし、前後があった方がご理解しやすいでしょうから、以下に全文を引いておきます。ご聖訓を味わってみてください。