領家はいつわりをろかにて、或時は信じ或時はやぶる。不定なりしが日蓮御勘気を蒙りし時、すでに法華経をすて給き。日蓮先よりけさん(見参)のついでごとに難信難解と申せしはこれなり。日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども尼御前我身のとがをば、しらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。
『新尼御前御返事』
文永12年(1275) 聖祖54歳作 全:p1251 定:1巻p868
難信難解
領家というのは、天皇から直接に領地(荘園)を賜った家柄をいいます。聖文においては、この消息を頂戴した領家の新尼の、姑に当たる大尼を指しています。夫の没後、出家したり、それを模した姿になったりするのが、未亡人(あまり良い言葉ではありませんが)のしきたりであった時代がありました。そこで、実際には出家していなくとも、尼という言葉が敬称として用いられたのです。
大尼の方は、日和見の信心をして、本気の法華経信仰者ではありませんでした。日蓮大聖人さまが佐渡に配流されている時には、世渡りのために信仰を捨てていたのです。ところが大聖人さまが御赦免になり、佐渡からお戻りになると、自分も本当はずっと信仰していました、といいだします。その精神にはまことがありません。大聖人さまが「いつわりをろか」と仰ったのは、その意味です。
新尼の方は、固く法華経を信じ、周囲からの迫害をうけても、命懸けで信仰を護ってきました。遠く佐渡に流された大聖人さまの身を思い、万難を排して種々の布施の品をお送りしていました。
晴れてお題目の信仰が幕府に認可されると、大尼もまたお題目を唱えるようになり、大尼と新尼がともども大曼陀羅ご本尊の授与を大聖人さまに請いました。その時、ご本尊とともに新尼に与えられたのが、上のご消息です。大聖人さまは、大尼にはご本尊を授与されませんでした。
聖徒団の中にも、領家の大尼のような方がいるのではないでしょうか。現代は信教の自由が保障されている時代ではありますが、世渡りや人付きあいのために、真実の信仰を貫けないことがあります。「難信難解」法華経お題目は信じ難く解しがたいと言うのはこのことなのだ、と大聖人さまは仰っています。真実の信仰を貫いてこそ、功徳もあり、利益もあります。目先の欲に目が眩み、「いつわりをろか」にならないようお心掛けください。