紙上法話

心の中の神仏を拝み顕す

七面山に山務


 皆さまは、七面山にお参りされたことがありますでしょうか。
 日蓮宗総本山身延山久遠寺の西にそびえるお山です。
 七面山には、竜神七面大明神をお祀りする敬慎院があります。この大明神は、日蓮大聖人さまの説法を聞くために美しい女性の姿となって現われ、大聖人さまに花瓶の水を注いでいただいて竜身を現わし「法華経の行者を守護いたします」と誓われたと伝えられています。
 七面山は標高1989m。七面大明神を祀る敬慎院は1700mほどの所に位置します。昔は山頂付近に七つの池が在ったので七面山と呼ばれるようになったそうです。現在は「三の池」までが残っています。
 普通に登山すると3~4時間はかかりますから参詣するのは正に修行です。登ってみるだけでも、ありがたい霊気に満ちたお山であることを実感していただけると思います。
 サラリーマンであった私は、縁あって身延山支院の積善坊に婿として入ることとなり、それを機に27歳から10年間、七面山敬慎院に勤務させていただきました。
 お開帳の時はまず、ご参詣の皆さまに七面大明神のお厨子の前にお座りいただきます。お厨子は参詣者の席より一段高くなっており、山務の僧侶はお厨子の横に位置し、お経を読みながら立ってお開帳を行います。
 扉を開き緞帳(どんちょう)を巻き上げると、目の前に大明神のお顔があるのです。白い歯を少しむき出して怖い顔をされているのですが、参詣されている皆さまの位置からは大明神の口元は見えません。
 参詣の皆さまには見えないから良いのかなと、私は10年間お開帳をするたびに思っておりました。

笑顔の七面大明神

 七面山を退職後は、身延山久遠寺に奉職したり、その他いくつかのご寺院のお手伝いをさせていただいておりましたが、図らずも53歳の時、再び七面山に勤務する機会を得ました。
 そして16年ぶりに七面大明神のお開帳をすることになったのですが、何ということでしょうか、大明神はにっこりと笑っておられたのです。
 若き日にお給仕させていただいた時には歯をむいて怒っておられたのに中年になって大明神のご尊顔を拝してみると、歯を出して笑っておられたのです。
 もちろん大明神像のお顔が変わるわけはありません。
 私の心の中の大明神が変わったのです。
 心の中の大明神を神像に映して私は拝んでいたということなのです。
 同じ仏像でも拝む人の精神によって違って見えているということではないでしょうか。
 日蓮大聖人は、富木常忍から、釈迦仏を造立したとの便りを受け
 釈迦仏御造立の御事。無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏、造り顕しましますか。はせまいりてをがみまいらせ候わばや。『真間釈迦仏御供養逐状』)
と記しておられます。
 「お釈迦さまの仏像を造り、お祀りされたとのこと。無始以来、誰も造ったことのない、自分の心の中におられる仏さまを造り現わされたのです。馳せ参じて拝みたいものです」というような意味です。
 宗教は、一般に、自己の外に在る神仏を拝むものです。如来蔵と言って、内在する仏は説かれて来ましたが、それは礼拝の対象とされて来たのではありません。日蓮大聖人さまの宗教は、自分の心の中の神仏を拝むと同時にそれを外在化(現実化)する教えです。神仏を拝むことを通して自分の心の中の大曼荼羅ご本尊を拝み、大曼荼羅世界に住して、自己の心の仏を活現するのです。それこそが、日蓮大聖人さまの信仰です。

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