紙上法話

今日を生き明日を迎え乗り越えていく

時代が変わっても大切なもの


 最近は、今起きている世の中の情報がテレビやインターネット・新聞などですぐに知ることができるようになりました。そんな情報の中には心が痛くなるような事柄がたびたびあります。「何故こんなことを…」「何故止めなかったのだろうか?」と、ついつい言葉が出てしまいます。現実を受け止められず、疑問に思ってしまうことも多々あります。


私は50代の日蓮宗の尼僧です。自分の幼少時代から若かった時代にかけて当たり前だった常識が、今は「時代が違う」「考えが古い」と言われることがたくさんあります。若い時には自分が言われると良い心持ちになれなかったので「昔は〇〇だったのに…」と言いたくないと強く思っていましたが、自然と口にしている今の自分がいます。子供の頃、大人たちがいっていた「あんたも年を取ったら分かる」という言葉が理解できる年齢となったということです。


「諸行無常」。人はみな、平等に年齢を重ねていく。その時、その年代の人の気持ちを自ら体験するシステムになっているのではないでしょうか。近年、世の中の発展は余りにも早すぎて50代の私には時代について行けていません。


スマホ等の使用用途としては「電話が掛けられて、メールが少しできたらOK」という考えの私には、既にそれは未知の道具になってしまいました。子供から大人まで携帯電話に限らず、パソコンやインターネットなどを使いこなせる人はたくさんいます。おそらく私のようなタイプの方が少ないのでしょう。そんな人たちには「何故、便利な物を使わないのか?」と聞かれますが「今は必要ないから」と答えている自分がいます。


人は自分が理解できないこと、理解しないことに「何故?」の言葉を使います。


時代によって理解できないことがあるのは仕方のないことだと思いますが、人の道や命に関することなど人として大切なものに関する考えは、いつの時代でもかわることなくあって欲しいものです。

命と申す物は一身第一の珍宝也。 一日なりともこれをのぶ(延)るならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆえぞかし。
「可延定業書」

寿命というものは、人にとって第一の宝なのです。一日でもこれを延ばすならば、千万両の金にも過ぎる価値のあるものです。法華経がすべての経典の中で断然すぐれているのも、釈尊の寿命が久遠であることを説いた法華経如来寿量品第十六があるからなのです。永遠の命をいただいた仏の信奉者はそれに触れ、一身第一の珍宝である命を大切にありがたく生きましょう。

大切な明日に向かって生きていこう

 人は生きていればさまざまな困難にあいます。それが生きとし生ける者の修行なのです。どう立ち向かうのか? どう乗り越えていくのか? 困ったときは九識霊断法により正しき道を見つけていただきましょう。私たちの進む道は一人ひとりで違うでしょう。ただ今日を生き、明日を迎えることを大切に思い、乗り越えていきたいものです。


そして倶生霊神符を着帯して、ご本仏さま、日蓮大聖人さま、ご先祖さまのご加護を信じてお題目をお唱えすることが、明日への自分に繋がると私は信じています。
最後に私が心の支えにしている自分なりの言葉を記したいと思います。

『今日が一番良い日、明日は今日よりもっと良い!』

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