紙上法話

我が頭(こうべ)は父母の頭… ご先祖さまに感謝

20代社会人との何気ない会話



私たちは今生に一人で生まれてきた者はいません。必ず両親「父と母」から命を分けて頂き、この世に生を受け、生活をさせて頂いております。今の私たちが幸せで元気に過ごす事が出来るのは、両親のお陰であり、更にはご先祖様のお陰ではないでしょうか。

しかしながら、様々なモノや情報が溢れかえり、何でも簡単に手に入る事が出来る現在の状況下で、その思いは希薄になっては、ないでしょうか。

私自身も若い頃には今ほどご先祖様のお陰ということを意識する事が少なかったと思い出されます。本当にお恥ずかしい限りです。結婚し、子を授かって親になり、また祖父母や親類、縁有る方々を霊山浄土に送る立場になってから、ご先祖様への感謝の思いは大きくなって参りました。

先日、ある二十代の社会人の方とお話をする機会が有りました。その方が言うには、

「自分は大学を卒業し、其れなりの会社へ就職し収入も頂ける様になりました。既に両親をも追い抜いてしまった気がします。これからは私が中心となって家のことを仕切って行くつもりです。まずはお金の掛っている祖父母をそれぞれの年金だけで生活してもらうようにしようと思います。」と、まるで世界征服でもしたかのような勢いでお話しになるのです。

お寺の住職という立場上、いろいろな年齢層や職業、様々な立場の方とお話をする機会がありますが、「自分だけ」「自分の努力で」というような自己中心的な視野の狭い方が、特に若い層に増えて来ている様な気がしてなりません。勿論、しっかりした考えの方もいらっしゃるのですが、本当に大事なものを忘れがちなのではないかと案じてしまいます。

我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬えば種子(たね)と果子(このみ)と身と影との如し。 (『忘持経事』)

日蓮大聖人さまは御両親、ご先祖様への孝養を大事になさいました。幼少の時に親元から離れ、行学の二道に励み、大変厳しい時代背景の中、法華経・お題目の布教に御生涯を捧げられましたが、身延山に御入山されてからは、毎日、現在の奥之院がある身延山の山頂に登られて、御両親の菩提を祈られたと伝えられています。

右に引いた『忘持経事』の一節にあるように、まさに私たちの身体は両親から頂いた身体です。両親の身体は、その両親、つまり祖父母から頂いたものであり、その身体は曾祖父母から…でありますから、考えてみれば、私たちは、何をするにも御先祖様と一緒なのです。日々の生活の中で苦しいことや楽しいことなど色々有るでしょうが、すべてはご先祖様のお陰と考えるべきです。

御先祖様のお陰で命を頂き、御縁ある方のお陰で今があります。御縁を頂いた全ての方の恩に報いる為にも、与えられた人生の一秒一秒を大切にし、万物に感謝の思いを抱き、日々のお題目修行をして参りましょう。

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