紙上法話

鬼も仏も心に住む



昨年から流行している『鬼滅の刃』皆さんはご覧になられましたでしょうか? 菅総理も「全集中」の語を使うなど、見てはいなくとも耳にしたことはあるかと思います。昨年映画が公開されると、たちまち『千と千尋の神隠し』の興行収入を超える大ヒットとなりました。物語の中の鬼は元人間でありながら、不遇な環境や自業自得から鬼の親玉に鬼にさせられてしまい、人間を喰らう悪い鬼となってしまいます。


日本人には鬼は昔から非常になじみ深い存在です。例えば、桃太郎や一寸法師といった昔話、泣いた赤鬼などの童話や「鬼は外、福は内」の節分、来年の話をすると鬼が笑う、なんてことも言いますね。中でも日蓮宗信徒におなじみなのは間違いなく鬼子母神さまですね。


仏教の説話や法華経にも鬼は登場します。先ほど述べた鬼子母神さまが改心した後、法華経受持者を守護する善神となったのはよく知られています。しかし、悪鬼が人の身に入り仇をなすと法華経勧持品第十三には説かれております。「悪鬼入其身罵詈毀辱我」悪鬼が人の身に入って、法華経を信じる正しい者に対して罵詈雑言、あること無いこと悪口をするという意味です。お経文には三類の強敵といって、一般社会の人、仏道修行を歩むお坊さん、世間から立派だと認められた立場の人の三種類の人の身に悪鬼が入り、法華経修行者の邪魔をすると説かれています。現に日蓮大聖人さまは身をもってこのお経文を体験されたことはご存じの通りでございます。


今、世間を見てみますと似たような事柄がたくさんあります。純粋に努力を続けるスポーツ選手やテレビ番組の演出上であっても人格を攻撃するような悪口が飛び交い、自ら命を絶つ人まで出たりしております。


さて、悪い鬼の正体とは何でしょうか。日蓮大聖人さまは『重須殿女房御返事』「そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ぞ(中略)委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候」とお示しになられておられます。


この手紙で地獄といわれるものは地獄の代表たる鬼を表します。『観心本尊抄』にも「瞋るは地獄」と心理における表現をなされ、顔を真っ赤にまるで角や牙が生えたかのように見える怒りの表情は私達が想像する鬼そのものです。


仏さまも鬼も私達の心に住まうという現実を素直に受け取りますと、やはりこの世に鬼はいると断言せざるを得ません。しかも一番近くには自分自身が怒りの心にあるとき、悪い鬼となってしまっていることに気付かなくてはなりません。


創祖行道院日煌聖人は大聖人さまの教えから「百界心理」という心理研究を開拓されました。紙数の都合で詳しい説明は省きますが、その中には「悪行当然心」という心理があります。自分を怒らせた相手が全ての悪の根源である。そんな奴に悪口嫌がらせをしても、当然の報いだといった地獄の心があったり、「嫉妬心」というものも地獄の心に数えられてあります。


想像するに、大聖人さまや私の友人のお坊さんが受けた罵詈雑言は「嫉妬心」という悪鬼がされたものではないでしょうか。正しいことを正しいと言える勇気は臆病で卑怯な人ほど眩しく羨ましく映ります。自分には到底できないのなら相手もできなくなれば溜飲が下がる。だからこそ、正しいこと、殊に法華経の信心においては尚さら生き生きと幸せに生きる私達が眩しく妬ましく思い、自分と同じ鬼となって地獄に住んでもらいたくなるのだろうと思います。


法華経お題目の信仰者たる私達は常日頃より気をつけなければなりません。自分の心に鬼が住まないように、仏さまの住所となるように、口と意と身に南無妙法蓮華経を唱え奉る三大秘法の正信を受持することが、何よりの肝心です。


最後に大聖人さまのお手紙の続きには「わざわいは口より出でゝ身をやぶる。さいわいは心よりいでゝ我をかざる」とございます。悪口少なく、感謝の多い人生は幸福な人生となるでしょう。

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