日常生活の不安とは精神と肉体の不和から
日々の生活で、何も心配なく安心して暮らせることができれば、幸福です。もしそれが実現できたなら、この世は極楽になったも同然です。
世界にはたくさんの宗教がありますが、そのすべてが「安心あ」の境地を得るために興ったといっていいでしょう。
「意馬心猿」といい、暴れ馬や野猿が騒ぐのを抑えられないように、心に起こる煩悩などの乱れは簡単に抑えられないものです。
そんな不安定な心を常に静かに安心する境地に置くことができるようになるとは、にわかには信じられません。
では、何をもって安心といえるのでしょうか。例えば、財産を充分に所有している、地位と名誉がある、家族みんなが無事、生活するのに困っていない、仕事や事業が上手く行っているなど、自分の生活にかかわる問題が調っていれば、ひとまず安心です。
これらは肉体に対する不安や、金銭に関する不安などの、「物」に対する考え方であります。しかし、人間の生活は物だけでは成り立たず、物を左右する「心」の働きが作用しています。
ですから、本当の安心は物質と精神が調和された上に現われ、どちらかに傾いてしまったときに、バランスを崩して不安が生じるのです。
人間の生活は、「衣食住」に集約されてます。そのため、とかく物に囚われがちになりますが、衣食住の生活に対して、どのように設計して営むか、生活する人の心の置き所にかかっております。
もしその人の精神の働きが、人の道に則ってなかったら、せっかく財産や地位があっても尊敬されなかったりするのは、物質中心の生活をしてしまい「安心立命」の精神から遠ざかっているからです。
大丈夫!の境地はお題目への絶対信
安心立命は、身を健やかに心を豊かに、人生に立ち向かうとき恐れるものはなく、「倶生霊神符を着帯していれば大丈夫」という、心の置き所を持って信仰する生活をいいます。
この安心は、南無妙法蓮華経の祈り、悟り、行いの信仰によって、人生の一切をこのお題目に任せ、期せずして倶生霊神符の神秘不思議のご加護に浴して、大安心の境地を得るというものであります。
日蓮大聖人さまが富木常忍さまへ与えられたご遺文に、
「日蓮は世間には日本第一の貧者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富者也。是時の然らしむる故也と思へば、喜び身にあまり、感涙押へがたし」『四菩薩造立鈔』
と述べてらっしゃいます。
「大難四ヵ度小難数知れず」というご生涯を歩まれた大聖人さまが、現実的にはとても貧しい状況下に置かれているけれども、寿量ご本仏さまから受け継いだ法華経・お題目の精神で考えた時、閻浮第一(世界第一)の富める者であり、その喜びは身にあまり、感動の涙は抑えられないと仰せです。
このご自覚こそ、何事にも動ずることのない精神、魂を法華経・お題目に染め、物質だけで生活を考えない、真の「安心立命」の境地であります。
私たち聖徒が日蓮大聖人さまと同じ境地になるのは、難しいように感じます。現実は物やお金で一喜一憂し、迷い苦しむ日々に傷つき、心まで貧しくなってしまいます。
そんな時は九識霊断法に任せて、目の前の困難を乗り越え、不思議なご加護をいただいてください。
あらゆる不安を解消し、喜びと感動で包まれます。生きがいと人間本来の価値を現わす道は、この聖徒団信仰にあるのです。