映画を通じて考える食と命の関係
『ブタがいた教室』という映画をご存知でしょうか。2008年11月に公開され、第21回東京国際映画祭「コンペティション部門観客賞」を獲得した作品です。
少々ストーリーを記させていただきます。
舞台は東京にある小学校。
4月。6年2組の子供たちは担任から、ブタを飼い最後に食べることを提案された。
ブタに興味を示した子供たちは、ブタにPちゃん(ピーちゃん)と名付け、世話を始める。
子供たちが熱心に世話をする一方、保護者からは「糞尿で衣服の臭いがきつい」「家でブタの話しかしない」「ブタを殺して食べるなど野蛮」などと様々な抗議を受ける。しかし校長の機転の利いた説得と英断により、事なきを得た。
卒業式が近づくと、Pちゃんを本当に食べるかどうか子供たちの中で気持ちが揺れ動いた。子供たちの意見は食べる、食べないが半々。担任は、どうしたら良いかクラスみんなで考えて欲しいと告げ、話し合いをさせる、という物語です。
この映画は、大阪の豊能町立東能勢小学校で実際にあった話を参考に作られました。実際は約3年間飼育したそうです。
似たような話が、A県の小学校でもありました。
約10年ほど前、5年生のあるクラスで鶏を飼育し、最後にはカレーライスに入れて食べるという授業が持たれました。
保護者にも十分説明し、理解を得た上で始めた取り組みでした。殺処理の2週間前にも保護者会で同意を得ていました。
しかし、殺処理をする日の前日、一人の女児の保護者から「娘が嫌がっているからやめて欲しい」との申し立てが、県教育事務所に入りました。町の教育委員会の指導もあり学校側は鶏の殺処理を断念する結果となりました。
この小学校の授業のねらいは「生き物を食べて生きている現実を知る」でした。
手をあわせて感謝の心でいただきましょう
食 法
天の三光に身を温め、地の五穀に精神を養う。
皆これ本仏の慈悲なり。
たとえ一滴の水、一粒の米も、功徳と辛苦によらざること無し。
我らこれによって心身の健康を全うし、仏祖の教えを守って四恩に報謝し、
奉仕の浄行を達せしめたまえ。
南無妙法蓮華経
私たちは、物を食べずには生きられません。他の命を自らの命の糧としているのです。
たまに動物を食べるのは野蛮だと言う菜食主義の人に会います。しかし野菜や果物や米も成長するので、命があることに変わりありません。
動物・植物に関わらず、私たちはそれらの命をいただいて生かされているのです。
近年、小中学校の給食において「いただきます」をいわない学校があると聞きます。「給食費を払っているのだから『いただく』わけではない」という論理からだそうです。
「食材の命をいただく」「給食センターの方々に調理していただく」という感謝の念が欠落しているのは嘆かわしいことです。
私たち日蓮宗の僧侶が食事をいただく際にお唱えする言葉に『食法』があります。ご覧の通り食法には、感謝の思いが込められています。
食事の前には「いただきます」、食事の後には「ごちそうさま」という感謝の言葉をいうのは当たり前のことです。今晩の夕食は、誰の命をいただきますか。