首導月訓 令和6年の月訓

首導月訓(令和6年6月)

◆失敗は成功の母である、という。ならば、失敗した人はみな成功するかというとそうではない。失敗する時には、必ず考え損ないが基になっている。考え損ないは、智慧と慈悲が足りないのが原因である。智慧と慈悲が足りないのは、心に光りがないからである。心に光りがないのは、真面目な信仰心がない故である。真面目な信仰心こそ、成功の母である。

◆信仰と信心には違いがある。信心は祈ること、信仰は仕えることである。寿量御本佛に仕え奉る誠の心の表れが信仰である。大曼陀羅御本尊が、寿量御本佛のお姿である。文字で書かれているが、心眼を開いて見れば、目映いばかりの寿量御本佛の大慈大悲の尊いお姿を仰ぐことができる。

◆大曼荼羅御本尊に香華、燈明、供物を捧げ、毎朝、顔を洗ったら謹んで礼拝する。お勤めなどという形式的な了見でいてはいけない。禮拝は心からなる御挨拶である。自分は寿量御本佛の愛し子であり、承継者である、ということに対する報恩感謝の気持ちを禮拝という所作によって表すのである。

◆禮拝には至心の祈りが伴う。日蓮大聖人は「日蓮は(わかき)より今生のいのり(祈)なし、(ただ)佛にならんとをもふ(思う)(ばかり)なり。」(『四条金吾殿御返事』)と仰言った。「今生の祈りなし」とは、身勝手な欲の祈りのないことである。「佛にならん」とすることこそが、祈りなき祈り、本当の祈りである。このことを諒解(りょうげ)してこそ、真の信仰となる。

◆拙い自分の生命を捧げて、尊い寿量御本佛の生命に振り替えて頂くために禮拝するのである。真剣に信仰することは、万事を寿量御本佛にお任せすることである。いちいち欲を並べ立てなくとも、佛さまは私たちの願いなどは先刻御承知である。無私無欲の祈りの中から、心の光りは輝き出る。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

-首導月訓, 令和6年の月訓

error: Content is protected !!

Copyright© 日蓮宗霊断師会-公式サイト , 2024 All Rights Reserved.