首導月訓 令和6年の月訓

首導月訓(令和6年5月)

◆「断じて行えば鬼神も之を避く」と言う。「断じて行う」とは、確信をもって物事を為すことである。「鬼神」とは、超人的な能力をもつ存在をいう。固い決意をもって断行すれば、何者であろうとも、それを邪魔することはできず、必ずやり遂げられる、という意味に使われる。

◆人間には、智慧という心の光があり、是非善悪を鑑別して、行いを誤らせないようになっている。しかし、人間にはもっと偉大な力が具わっている。それが信力である。信ずるとは疑わないこと、そして、迷わないことである。この力を確実に使うことができれば、何事も思い通りにやれる。

◆智慧の力で判断して答えの出ていることでも、いざ実行するとなるとなかなか思い切ってやれないものである。無謀にやってしまえば、大抵は失敗する。何故であろうか。一寸先は闇と云う通り、運命は予断を許さないからである。

◆無謀と信ずることとは違う。信ずるには信ずるだけの根拠がなければならない。どうすれば信力が得られるか。それに気が付いた人は、人生の幸福を手中にする人である。先ず、御題目を真剣に唱え、倶生霊神符を身に着けて熱祷せよ。不思議な神力に護られていることが判って来る。その経験こそが信力を生む。

◆自分の力でできることは、他人の世話にならないようにする。そして、できる努力は何でもする。問題は、その先である。運命の危険をどう避け、運命の援けをどう得るか。南無妙法蓮華経と倶生霊神符で得られると確信できたら、鬼に金棒である。後は断じて行うのみ。人生の幸福と安全は、この信仰にある。

◆日蓮佛教は世界第一の宗教である。何故ならば、祈り・悟り・行いの三妙具足の聖教だからである。佛教は悟りから始まった宗教であるから、悟りに重きを置き勝ちであるが、先ず祈りがなければ宗教ではない。

◆佛教以外の宗教の祈りは、神に縋って救いを願う祈りでしかない。日蓮佛教の祈りには、悟りが裏付けになっている。その悟りとは、自分が佛であるという自覚である。

◆祈りとは、神と人とが結びつく唯一の方法である。神とは、人間のできないことをできる力と徳とを持つ者である。故に、人は祈りに依って神の加護を受ける。神を信じ、神を祈るのは、救いの事実があるからである。

◆祈りの目的は救いにある。自分が佛であるという悟りを裏付けに持つ祈りによって、救いの事実が生まれるのが、聖徒団の祈りである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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