首導月訓 令和4年の月訓

首導月訓(令和4年11月)


◆人の生まれつきはさまざまである。同じ年に生まれ、同じ地域で育ち、同じ学校に通い、同じ教師から同じことを学んでも、試験となれば成績はみな違ってくる。

◆成績の分布には、一定の法則があることが知られている。成績の良い者と悪い者とは、それぞれ少数で、中間層を占める者が多数となるのである。

◆これは何も学校の成績に限った話ではない。世の中の多くのことごとについて、大抵、かくの如きである。すなわち、優等な者と劣等な者は少なく、割合の大きいのは、中等な者である。

◆ところで、理想は高く掲げられるのが常である。否、高くない理想は理想とは言えないから、高く掲げられて然るべきである。

◆しかし、現実を見ずして、理想を現実に持ち出すと、往々にして、実際の役に立たないことになる。全員がオール5の成績となることは理想であるが、無闇にそれを目指しても、恐らく大きな教育成果は得られないであろう。無論、採点を甘くして出来てもいないのに5を付けたのでは、何の意味もない。

◆仏教は、覚りをひらいて仏の智慧を得ることを以て目標とする。仏陀となることを目指す菩薩は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六度の修行の波羅蜜(完成)を目指す。

◆されど、中間層はもちろん、上根上機でもなかなかこれを為しえない。よって、教団も寺院も、個人的な現世利益や、死後の安心ばかりに重点を置き、肝心の社会教導を行わない。これでは清新な伝道が行われよう筈はない。

◆日蓮大聖人の仏教は、智慧による解脱(成仏)ではなく、信仰による解脱(成仏)の道を拓かれたものであった。つまり、下根下機に立脚し、誰もが成仏し得る道である。

◆このことを見いだされ、それに立脚した新しい聖徒団伝道を打ち立てられたのが創祖行道院日煌聖人である。そして、創祖はその先をも切り開かれていた。その第一歩が「十字聖日」である(本号8面「Q&A」欄参照)

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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