◆日蓮仏教は、「娑婆即寂光」「即身成仏」の教えである。
◆娑婆とは、私たちの住むこの現実世界を言い、寂光とは、理想世界のことを言う。現実世界がそのまま理想世界であり、私たちが凡夫のままで仏になるといってもなかなか納得が行かないかもしれない。
◆「一水四見」の理と呼ばれる教えがある。一つの川があったとすると、餓鬼はこれを膿血と見、魚(=畜生)はこれを住処と見、人はこれを水と見、天はこれを地であると見る、というのである。
◆日蓮大聖人さまの『曽谷入道殿御返事』には「餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別也」とある。若干の相違はあるが、要は、同一のものが、立場によって全く違って見える、ということである。
◆換言すれば、人生の万事は、受け取り方の如何によって、幸いとなることもあれば、不幸となることもある、ということでもある。
◆災いを転じて福となす。不運であると思っていることが、意外にも幸運の元であった、ということもままあるものである。
◆法難なくして日蓮大聖人さまはなく、提婆達多なくして釈尊はなく、ユダなくしてイエスはなく、貧困なくして豊臣秀吉なく、‥‥というような見方もできるであろう。
◆つまり、人生に華を飾った人の多くは、辛酸、労苦、迫害等々の現実の中から生まれたと言っても過言ではないのである。
◆しかれば、マイナスと見做されていることにこそ、人を育てる大きな要素が含まれていると考えられる。困難をくぐることによって、天与の真価が磨き出されるのである。「艱難汝を玉にす」は、人生の真理と言えよう。
◆悪世こそが浄土となり、凡夫こそが仏となる。それこそ、法華経が諸経の王たる所以である。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞