◆お題目の信仰をする目的は何であろうか。即身成仏である。誤解を恐れずに言えば、成仏とは、仏に成ることではない。自身が本来仏であることを知ることである。我が身即ち仏なりこそ、即身成仏なのである。このことが心の奥底に落ち着くまで、一心に唱題すべきである。
◆いくらお題目を唱えていても、自身が本物の仏さまであることを知らなければ、何の意味もない。「若し心外に道を求めて万行万善を修せんは、譬へば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し。」〔『一生成仏鈔』〕である。こういうのを空題目という。
◆即身成仏の境地は、即身成仏してみないとなかなかわからない。平地にいて高山の頂に登った気持ちを知ろうとしても難しいようなものである。唱題を杖と頼み、聖徒団長上人の指導のもと、一歩一歩上っていくがよろしい。
◆高みに上るに従って、いままで見えなかったものが見えるようになり、気付かなかったことに気付くようになる。やがて、私たちの身がそのまま仏であること、私たちの心がそのまま仏であること、私たちの振る舞いがそのまま仏であることがわかってくる。自分が求めていたものはこの境地だったのだ、と知る時が必ず訪れる。それこそが即身成仏である。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞