◆信仰は、神秘を体験することから入るべきである。宗教には、道徳も倫理も哲学も含まれているが、宗教の宗教たる所以は、道徳や倫理や哲学を超越したところにある。神仏に触れ、神仏に護られ、神仏に仕え、神仏を現すのが宗教である。
◆道徳や倫理は、人と人との関係を正しく美しくする方法であるが、神仏に触れることはできない。哲学は人生や自然の真理を探究する知の営為であり、宗教に近づくこともあるが、その反対の方向に進むこともある。神仏に触れ、信仰に入る門は自ずから別にある。それが神秘を体験することである。
◆信仰は、神仏の守護を信じ、神仏のみ心に順って生きて行くことである。神仏は肉眼で見ることはできないが、心眼を開けば見ることができる。信ずるとは心眼を開くことである。
◆信ずるには、疑おうとしても疑えない事実を経験するに如くはない。神秘を体験することから信仰の道に入るべきなのは、そのためである。
◆神秘の体験は、九識霊断法の指導に順い倶生霊神符を着帯すれば、すぐに得られる。しかし、自己の欲望が叶うことが霊験であるという浅薄な料簡を持ってはならない。それでは、いただけるご利益もいただけなくなる。
◆神仏に仕え、神仏を現す敬虔な信仰こそ、神仏に触れ、神仏に護られる道である。この道がすべての人の幸福に通じるただ一つの道なのである。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞