質問ちゃん
問 倶生霊神符を常に身に着けていますが、何もありません。ご利益を頂けているのでしょうか。(和歌山県 40代 男性)
お答え上人
答 「ご利益」をいただけているかどうか、というのはなかなか分かりにくいこともあるものです。
「ご利益」について日蓮大聖人さまは「顕益(けんやく)」と「冥益(みょうやく)」の2つがあると示されておられます。
まず顕益とは「目に見える形で顕れるご利益」のことです。
例えば「原因不明の病気になったけれども、霊断とご祈祷をしていただき病気が治った」とか、「事故に遭いそうだったが、交通安全の祈願のおかげで回避できた」などは、実感として認識できる分かりやすいご利益で、顕益ということになりましょう。
もう一つの冥益とは「知らないうちに神仏が与えてくださるご利益」のことです。
大聖人さまは「冥益なれば人是れを知らず見ざるなり」(『教行証御書』)と仰っておられます。
このご教示の通り、私たちは冥益に気づけないものです。日々の生活において「何もない」ことが、お題目信仰を通して目に見えない倶生霊神のご利益をいただいていることであっても、それを感じ取ることは難しいのです。
健康でいると、健康の有り難さに気付きません。無病息災が望ましいのはもちろんなのですが、無病でいると、それが当たり前になって、健康に留意しなくなるので、かえって大病をしたりすることがあるため、近ごろは「一病息災」と言われるようになりました。
でも、無事であるのが一番ですね。
無事でいることに感謝し、有り難うございますの気持ちで信心を続ければ、一層冥益がいただけ、無事であり続けることでしょう。
倶生霊神符を着帯し、御本尊さまに無心にお題目を唱えていれば、自ずと有り難さを感じられるようになるはずです。
「ご利益」について日蓮大聖人さまは「顕益(けんやく)」と「冥益(みょうやく)」の2つがあると示されておられます。
まず顕益とは「目に見える形で顕れるご利益」のことです。
例えば「原因不明の病気になったけれども、霊断とご祈祷をしていただき病気が治った」とか、「事故に遭いそうだったが、交通安全の祈願のおかげで回避できた」などは、実感として認識できる分かりやすいご利益で、顕益ということになりましょう。
もう一つの冥益とは「知らないうちに神仏が与えてくださるご利益」のことです。
大聖人さまは「冥益なれば人是れを知らず見ざるなり」(『教行証御書』)と仰っておられます。
このご教示の通り、私たちは冥益に気づけないものです。日々の生活において「何もない」ことが、お題目信仰を通して目に見えない倶生霊神のご利益をいただいていることであっても、それを感じ取ることは難しいのです。
健康でいると、健康の有り難さに気付きません。無病息災が望ましいのはもちろんなのですが、無病でいると、それが当たり前になって、健康に留意しなくなるので、かえって大病をしたりすることがあるため、近ごろは「一病息災」と言われるようになりました。
でも、無事であるのが一番ですね。
無事でいることに感謝し、有り難うございますの気持ちで信心を続ければ、一層冥益がいただけ、無事であり続けることでしょう。
倶生霊神符を着帯し、御本尊さまに無心にお題目を唱えていれば、自ずと有り難さを感じられるようになるはずです。