奉仕信とは、ご本尊に対する奉仕です。
佛陀釈尊は、私たちの内に、大宇宙の生命とその神秘を具有することを悟られました。それは、永遠のいのちであり、あらゆる霊性の本源であり、全ての真理の大本です。法華経の如来寿量品で、久遠実成の釈尊として説かれているのは、実は、この大いなる生命に他なりません。
日蓮大聖人さまの大曼陀羅ご本尊は、法華経本門虚空会の儀相を図顕されたものと言われますが、それは、同時に、この大生命の相貌を表しています。
曼陀羅とはサンスクリット語のマンダラの音写語で、本質、心髄を意味するマンダと所有を表す接尾辞ラの合成語です。「本質を有つもの」「神髄を図示するもの」の意となり、輪円具足、功徳聚などと訳されます。
ところで、日蓮仏教では、仏・法・僧の三宝が悉く現実として把握されますので、三宝所在の浄土が必要となります。大曼陀羅ご本尊を、これら三宝と浄土の観点から総合し、その真実義を明かにされたのが創祖でした。
大曼陀羅は、本門虚空会の浄土相を写すものであり、寿量ご本仏の神格を明らかにしています。すなわち、寿量仏の理想と活動の一切、唯一絶対の神格の全貌が、大曼陀羅ご本尊に依って現わされているのです。それ故、大曼陀羅には、現実の人類の営為である社会活動が表現されています。
「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ」(『檀越某御返事』)
親となっては子を育て、教師となっては生徒を教導し、職業を持ってはその職に専心することが、法華経、ご本尊に対する奉仕なのです。それぞれの立場立場を通じて、我が身を奉仕すること、それがご本尊への奉仕です。