◆釈尊は苦から出発された。何故、人生には苦があるのか。苦はどのようにしたら除くことができるのか。人生苦の解決こそが、仏教の目的である。
◆苦の原因を探究された釈尊が辿り着いたのは「無明」であった。無明を除くことができれば、人生の苦は解決する、と釈尊はお悟りになった。
◆無明には、無知の無明、無自覚の無明、無意識の無明がある。無知の無明は、知識によって破することができ、無自覚の無明は、証悟によって破することができる。
◆このように、無知の無明、無自覚の無明は、智慧によって解決することができるのであるが、無意識の無明は、智慧では破することはかなわない。無意識であるから、知覚で捉えることができない。すなわち、神秘である。
◆神秘に到達することができるのは、信仰だけである。無意識の無明は、信仰によってのみ解決される。しかして、無意識の無明を解決しない限り、人生苦の問題は解決しないのである。
◆一般の信仰は、やれ利益があるとか、やれ守護を頂けるとか、そればかりになりがちである。利益も守護もむろん大切であるが、無知の無明を破し、無自覚の無明を破した上で、無意識の無明を破してこそ、本当の信仰の価値がある。
◆苦の原因を尋ね、その根本を明らかにし、その苦の原因を破し、超克することによって、人間に、安心、よろこび、幸福を教えるのこそ、真の宗教であらねばならない。
◆苦とは常楽我浄の究竟目的に対する矛盾の報酬である。五字七字の信仰により、究竟目的が成就することによって、苦は永遠に解決する。苦を伴うものは、真理に背反するが故である。
◆無明に挑まなければ、四徳波羅蜜への道は拓かれない。日蓮大聖人の以信代慧の信仰は、無明の迷因を解決し、安心立命にいたる方途である。そのことを知り、その道程を歩んでいるのは、聖徒団のみである。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞