首導月訓 令和5年の月訓

首導月訓(令和5年4月)


◆生き霊、死霊、野孤霊などが憑いて病気や禍をもたらすことがある。そして、祈祷修法によって、それらを調伏し、あるいは憑霊を守護神に祀って、霊験が授かるようにすることもある。

◆これらは全てが否定されるべきだというものではない。しかし、こうした信仰に入り始めると、際限なく迷信の世界を彷徨い、理知の光を失うことがあるから気を付けねばならない。

◆科学万能に弊があるように、神秘万能にも害がある。判らないことは判らないとし、知識と道理を信頼することが大切である。

◆いろいろの心霊療術があって、医療よりも遙かに偉大な効験があると謳われることがある。これもまた、全てが否定されるべきであるわけではない。しかし、それらは、人間自身に具わっている自癒能力を利用する場合がほとんどであり、これを霊力による施術の効能とあやまりやすいことに注意が必要である。

◆我々の心霊は神仏に通じている。故に自ら信心決定すれば、不思議な力を現じ得る。このことを弁えている人は多くない。先に療術師の話を聞き、施術を受けて、信頼してしまう。そのことが自癒能力の発揮の誘因となることもある。療術師も自身の経験から得た信念によって、その能力を発揮することもあろう。いづれであったとしても、病人自身の自癒能力を基本とすることはまず動かない。

◆心霊療法と宗教はしばしば混同されるが、似て非なるものである。聖徒団の信仰には、不思議を起こす護符の支度もあるが、行法によって自癒能力を高める神秘現象を起こす指南も用意されている。

◆これは、我々自身の霊力の顕現であり、不思議にして不思議でなく、不思議がなくて不思議であるところの、信念力と精神統一の働きである。合理にして神秘なる行道生活こそ、聖徒の歩むべき道なのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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