令和4年の月訓 首導月訓

首導月訓(令和4年10月)


◆人間は、幸福にならんとしながら生きている。幸福になるには、先ず、生きながらえなければならない。死んでしまえば全てがお仕舞いである、と誰もが考えている。命あっての物種、である。

◆生きて行くには、衣食住の問題を解決しなければならない。食べずに生きて行く術はない。裸ではいられない。雨露しのぐ住処も必要である。故に、衣食住に満足することが、取り敢えずの人生の目標になる。

◆ところが、人間の欲にはきりがない。衣食住がどんなに充実しても、それだけでは満足は得られない。衣食住はなくてはならぬが、衣食住だけでは幸福は得られない。
◆衣食住を決めるのは貧富である。だが幸福は貧富では決まらない。貧しさは人を不幸にする条件を運んでくるが、貧しき中にも幸福はある。富裕は、幸福になる物質的な前提を整えやすくはしてくれるが、往々にして、幸福を破壊する縁ともなる。幸福を決めるのは、畢竟、心掛けである。

◆ところが、「心掛け」と言うのは簡単であるが、心掛けを良くするのは、簡単ではない。心掛けを良くすれば、人生の問題の大半は片付くことに、人は誰でもそれとなく気づきながら、なかなかその通りにすることができないのである。

◆心掛けを良くする研究と努力を怠れば、幸福になれないのであるから、結局、損をするのは自分である。理屈をこねても仕方がない。それが真実なのであるから、それに従うより方法はない。幸福になりたいのであれば、心掛けを良くするの他ないのである。

◆求道心という。自分ではなく他を利せんとする高尚な心のように感じてしまう。しかし、それは、自分自身が幸福になるための最善の道を探し求める心掛けである。心掛けを良くするための心掛けである。

◆幸福になるには、この門より入るよりないのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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