◆信仰の対象は、本門寿量仏の大曼陀羅ご本尊に限る。大曼陀羅には寿量仏の全貌が記されている。全き神の姿を拝むのが、本門の本尊に対する信仰である。拝むとは、拝むものと拝まれるものとが一つになるためにすることである。正しい信仰はこれである。
◆大自然は寿量仏の姿である。文化の光は寿量仏の願業である。生活は寿量仏の自受法楽である。私たちは寿量仏の常住不滅の生命を生きている。仏願に生き、仏業を楽しむために、この世に生まれてきたのである。この悟りを内に懐いてお題目を唱えるべし。
◆運が悪いと思うのは、自分の行いが仏願仏業に適わないからである。金儲けの他に人生の目的はないと考えるからである。他人の贅沢を見て羨む気持ちがあるからである。どんな人でも精進と和合に努めれば生活に光が差す。運は自然に開けていく。
◆夫婦が互いに愛するのも、親が子を愛し、子が親を慕うのも、兄弟友人が親切の情を盡しあうのも、弱い者を助けるのも、皆な寿量仏の悲願の現れである。大曼陀羅を拝む心で夫に対し、妻に対し、子に対し、親に対し、兄弟友人に対し、世の中に対すべし。
◆仏願とは愛情に生きること、仏業とは楽しみを弘めることである。信仰の目的はそれ以外にはない。自分だけ寿量仏のご利益を得ようと思ってはならない。自分一人幸せで他の者が不幸ならば、結局自分も幸せにはなれないのである。幸せは一人に与えられるものではない。
◆人に迷惑を掛けないために利益を祈り、人を喜ばせるために利益を祈る。その祈りは必ず叶えられる。叶えられた幸福を私してはならない。祈りの如く実行すべし。この祈りに生きる人は、運命に見放されることなく、生活に行き詰まることも断じてない。