今の「遣使還告」は地涌なり。「是好良薬」とは、寿量品の肝要たる妙(名)、体、宗、用、教の南無妙法蓮華経これなり。
『如来滅後五五百歳始観心本尊鈔』文永10年4月。聖祖52歳 全:P94 定:巻1 P716
「遣使還告」は地涌
たくさんの子供がいる良医がいました。良医が不在にしていた或る時、子供たちは毒薬を飲んでしまいます。帰宅して、子供たちが毒を飲んで苦しんでいるのを見た良医は、子供たちを救うために、色も香も味も良い、解毒の妙薬を調剤して、子供たちに飲ませようとしました。しかし、毒気が浅かった子供は直ぐに服薬して治ったものの、毒気が深く入って本心を失っている子供たちは、父の言を疑って、良薬を飲もうとしません。一計を案じた良医は、「私は他国に用事が出来たので出掛けるが、是の好い良薬(「是好良薬」)を今此に留め在く。飲めば必ず治るから、疑わないで飲むように」と言い残して出立します。そして使いを遣わして「父上は旅先で亡くなりました」と告げさせます(「遣使還告」=「使いを遣わして還って告ぐ」)。それを聞いた子供たちは大きなショックを受け、父の言を思い出し、父なき後はこの薬以外には頼るべきもののないことに気付き、皆、薬を飲んで毒の病を癒やすことが出来ました。子供たちの病が全快したことを聞いた父良医は、家に戻り、無事の姿を見せました。
法華経如来寿量品の自我偈の前の長行(偈頌でない散文の部分)に説かれる「良医治子の喩」です。「法華七喩」と呼ばれる、法華経の七つの代表的な譬え話による教説の一つで、本門では唯一のものです。
自我偈では「如医善方便 為治狂子故 実在而言死 無能説虚妄」と示されます。
良医が本仏釈尊を、子供たちが私たち衆生を譬えていることは、容易に理解していただけることでしょう。
そして、「『遣使還告』は地涌なり」と大聖人さまは仰います。本ぶつ釈尊が死んだという本仏釈尊自身の「方便」を衆生に伝える使者であり、毒気が深く入って本心を失っている衆生に「色香美味皆悉具足」の「是好良薬」を飲ませる役割を担う者こそが、末法の時代に現れて本仏の悲願を実践する本化地涌の菩薩なのである、とのご教示です。
更には、その「是好良薬」こそが、南無妙法蓮華経である、と仰います。
良医がそこにいても、病気を治すのは、良医が調剤した「良薬」以外にはありません。良医がそこにいなくとも、大良薬を服すれば、病は治ります。久遠の如来の常住不滅とは、救いの道の常住不滅ということです。
良医は子供たちの元に還って来ます。永遠不滅の寿量本仏の生命とは、私たち人間によって表現されるのであり、そのことに気付かないこと、人間自身の本質に仏陀の崇高を見出すことができないことこそが、毒気深入の病なのです。