天晴れぬれば地明かなり。法華を識る者は世法を得べき歟。一念三千を識らざる者には、佛大慈悲を起し、五字の内に此の珠を裹て、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ。
『如来滅後五五百歳始観心本尊鈔』
文永10年4月。聖祖52歳。全:p100 定:1巻p720
天晴れぬれば地明かなり。
天空が晴れ渡れば、地上も明るく照らされます。法華経は、空の太陽のようなもの。その光に照らされれば、現実の生活が幸福になります。
法華経には、この世で幸せになれることが約束されています。あの世に往ってからではありません。この世に生きている間に、今、ここで、ハッキリと、願い事が叶い、幸せになるのです。
「法華を識る」とは、法華経を読むことや法華経の教えを理解することではありません。御本仏の救いを心底から信じて、お題目をお唱えすることです。理屈は要りません。
法華経には、一念三千という、高遠で玄妙な教えが説かれています。それは、全ての人が仏になり、救いを得ることができることを裏付ける教えです。尊い教えなのですが、とても難解な哲理でもあります。いまここでは、これ以上は御説明しません。解らなくてもよいのです。
御本仏は、「妙法蓮華経」という五文字の宝珠に、全ての人が成仏できる原理であるこの一念三千という教えを籠められました。そして、その宝の珠を、私たち全員の首に懸けてくださっているのです。
一念三千を識ることができずとも、御本仏の大慈悲を知ることは出来ます。南無妙法蓮華経を信じ唱えれば、御守護が頂けるからです。
首に掛けて頂く妙法五字の宝珠。何か思い出しませんか?
そう、倶生霊神符です。
倶生霊神は、御本仏が私たちの一人ひとりをお護りくださるために遣わされた神様なのです。
その護りは明々です。しかし、体験しなければ解りません。南無妙法蓮華経を心から信じてお唱えすれば、空が晴れた時には地上が明るく照らされるように、倶生霊神の守護が現れます。
幼い子ほど、親は心を配り、手を掛けます。御本仏は、子である「末代幼稚」の私たちに、いつも大いなる慈悲の手を差し伸べられておられるのです。
因みに、聖徒団先代首導「天晴院日明聖人」の御名は、この祖文に由来します。