名古屋 浄蓮寺にて開催‼︎
去る10月8日、愛知県名古屋市浄蓮寺の本堂において、第40回日蓮宗霊断師全国大会名古屋大会が開催されました。60余名の霊断師が全国から集まり、厳粛な先師法要並びに決起大会が行われました。
「何に況や仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をほう(報)ずべし。」『開目鈔』
日蓮大聖人さまが極寒の地佐渡塚原にて、雪中、生命の危機にさらされる中で、弟子たちへ魂魄を留めようと遺された『開目鈔』の一節です。
ご自身の仏弟子としての使命が、恩に報いる心から溢れ出た慈愛の孝道であることを明かされ、また、人の人たるための大道は、恩を知り、恩を感じ、恩に報いる歩みの中にあることをご教示下さっているのです。
毎月拝受する倶生霊神符、困難を乗り越えるための救いの法術、九識霊断法。これらは、日蓮大聖人さまのみ教えから、創祖行道院日煌聖人が学問の力で導かれ、本会創立以来、たくさんの霊断師によって布教されてきました。
この日蓮宗霊断師全国大会は、創祖猊下をはじめとする、ご遷化された霊断師各聖へ、「知恩報恩」の先師法要を行い、参集した霊断師が霊断布教へ決意を誓うのです。
記念すべき第40回の霊断師大会。創祖猊下が何度も訪れられ、相伝講習会や行学講習会を開催された、名古屋市浄蓮寺で霊断師大会を催し、先師の恩を知り、恩に報いるための法要を営んだことには大変深い意義があります。
創祖行道院日煌聖人の「ご霊跡」浄蓮寺で先師法要厳修
日蓮宗霊断師全国大会「第40回名古屋大会」が、10月8日・9日の両日、愛知県名古屋市浄蓮寺(藤 浩一住職)を会場に全国より60余名の霊断師が参集し、厳粛且つ盛大に開催された。霊断師先師に報恩の回向を捧げ、正法流布と霊断布教のさらなる興隆、会の発展のための総和を誓った。
この日蓮宗霊断師全国大会は、創祖行道院日煌聖人、第二祖天晴院日明聖人をはじめ、霊断師会先師先達へのご報恩と、全国霊断師各聖相互の親睦を図るとともに、正しいみ教え(お題目)を全世界の人々に弘め、仏国土の実現を誓う大会として、各支部の協賛を得て開催されている。
愛知県名古屋市は、創祖行道院日煌聖人とは深いご縁のある土地で、第一会場となった浄蓮寺は、昭和30年5月に開催された第6回九識霊断法相伝講習会と、昭和33年6月から34年3月に掛けて開催された行学講習会の会場であり、本会にとって「霊跡」とも言える。
午後1時より全国から参集の霊断師が着座し、堀江宏正会長を導師に先師法要が厳修された。
堀江会長は奉告文の中で、「二百年ぶりの譲位による践祚に伴い、令和に改元。まさに新しき時代を迎える。ほぼ時を同じくして、新会長に就任し、会勢復興を誓う。我ら今こそ創祖の正嫡として祖道弘通の正しき道を歩み、未信徒にお題目を結縁し、広宣流布に邁進しなければならぬ。全国より参集した霊断師は、先師の恩に報いるとともに、改めて正しい法を弘める誓願をたてて、後世にこの威徳を弘め伝えることを誓う」と述べた。
続いて大会会場である浄蓮寺聖徒団・藤 浩一団長は、歓迎の挨拶をして先師法要は閉幕した。
法要後、霊断師大会第二部「霊断師決起大会」に移り、髙佐相伝宗主より挨拶があり、座長に大阪支部長・伊丹瑞栄師が選出され登壇。決議文起草委員に東京支部長の小林栄量師、九州布教区理事・竹内曜良師が選出された。
はじめに堀江宏正会長より挨拶、続いて村井信照総局長より組織改変並びに事業報告がなされた。
最後に起草委員より決議文が読み上げられ、採択の後、決起大会は閉会となった。
その後一行は、バスにて熱田神宮へ。戦勝祈願をした織田信長が、桶狭間の戦いでの勝利の御礼として奉納した土塀などを拝観し、第2会場のアパホテル名古屋錦へと向かった。
午後6時30分より、懇親会が催され、山崎浩道副大会長より挨拶ののち、河野全厚副大会長による乾杯の発声で会場内の懇親の宴が開かれ、終始、和やかな雰囲気の中、懇親会が行われた。
結びに大平貫脩組織委員長より謝辞、次期霊断師大会開催地を代表して、北海道支部栗原良全師より挨拶、最後に菅原海淳理事会副議長の万歳三唱で閉宴となり、第1日目の日程を終了した。
2日目は名古屋城へ向かう。豪華絢爛な本丸御殿を拝観。その後一行は、徳川美術館へ移動し、歴史的文化財を見学後、なごや花亭みよしにて昼食。
名古屋駅と中部国際空港へ分かれて解散となった。
浄蓮寺の縁起と霊断師会とのご縁
浄蓮寺 山主 藤 浩一 上人
當山は、京都、本山 妙覚寺の末寺で境内は江戸時代1653坪。天正18年(1590)に慈眼院日超上人が清須城下町(現清須市)に建立されたお寺で、慶長15年(1610)徳川家康が、名古屋城の築城に伴い清須より現在地に移転されました。現在の堂宇は、225年前 第12世、青龍院日見上人により再建されました。平成18年に屋根瓦等々老朽化と耐震補強を目的として、檀信徒、聖徒団、総代の総意のもと「平成の大修理委員会」を立ち上げ無事円成を祈念して日蓮宗加行所 第四行入行、平成23年、無事完成しご報恩感謝のため、同年再び日蓮宗加行所 第五行に入行し現在に至ります。
先の戦争で空襲にあい、昭和20年3月19日に本堂の南側にあった、守護神堂、七面堂が焼失。戦時中、三菱重工業の寮になっており寮生60名程生活をしていた寮生たちの消火活動により、本堂、庫裏、玄関、書院、赤格子の山門等は類焼から免れることができました。
墓地は戦前は境内地にありましたが、昭和25年名古屋市都市計画により「平和公園」への移転に伴い境内地の納骨堂「安霊殿」(現合葬墓)を建立しました。
さて、霊断師会とのご縁は、祖父・藤 智禅(本事院日定上人)が宗会議員の折、創祖行道院日煌聖人が研究されている九識霊断法に感銘を受け相伝講習会を受講されたのが始まりです。宗務所所長経験もある上人は名古屋でも霊断布教を広めようと研修会場を引き受けられ、創祖は昭和33年、34年に何度も3泊4日の日程でご来寺され、当時は教師のみならず聖徒も大勢受講されており、1日中熱心にご講義され、質疑応答にも時間をいとわず説明されたと聞いております。
この頃は、まだ新幹線も開通しておらず自家用車で来られており、またお泊り戴くようなホテルもなく書院にてお泊り戴いたとのことです。
母・三州子は、寝食のお世話をさせていただき、今思えば寺庭婦人、お庫裏の基礎と厳しさを学んだと言っております。特に食事の時の配膳などには特別気を遣ったそうです。その母も後に霊断師となり87歳となった現在も元気に聖徒団の発展に貢献しております。
今回の大会のお話をいただいた時、令和元年の記念すべき新しい元号での大会の開催を通じて、霊断布教に力を注いだ祖父上人と歴代上人のご回向、また、私自身、本部霊断師会・編集部に15年ほどお世話になったことへのご報恩になれば、との思いで会場を受けさせていただきました。
手狭なお寺で何かとご不便をお掛けしましたが、本部役員の皆様、中部参加霊断師、お世話をしていただいた聖徒団婦人部のご協力をいただき無事に円成できましたことを感謝申し上げます。