首導月訓 令和元年の月訓

首導月訓(令和元年9月)


◆釈尊の滅後千年を正法(しょうぼう)、次の千年を像法(ぞうぼう)、以降一万年を末法(まっぽう)という。正法は、正しい教えが行われ覚りが得られる時代、像法は、正しい教えを修行する者はいても修行の成果である覚りを得る者はいない時代、末法は、覚りを得る者のみならず修行する者もいなくなって教えのみが残る時代、ということになっている。

◆要は、仏教の教えの上では、だんだん世の中が悪くなる、とされているのであるが、果たしてどうであろう。文化・文明は発展し、国家・政治は民主化し、社会・福祉が充実して来ているのが人類の歴史であり、世の中は進歩しつつあるのではなかろうか。

◆実は、正法~像法~末法の推移は、世の中の下降ではなく、仏教の教化力(きょうけりょく)の衰退を意味する。末法とは、小乗的な出家主義(=戒律主義)の仏教が廃れることなのである。教えは時代に適合したものでなければ、(やく)なきものになる。出家戒律主義の仏教は、社会や文化の進展に適応できず、その教化力は徐々に減退して来ざるを得なかったのである。

◆では、どうなるか。末法に相応しい、出家・在家を貫く大乗菩薩道の時代を迎えるのである。末法の時代に、人類の新時代を指導する最高の宗教が出現する。それこそが、日蓮大聖人さまの三大秘法の南無妙法蓮華経である。

◆釈尊の仏教は、智慧によって解脱する仏教であった。戒律を(たも)ち、禅定に入るという修行主体の仏道は、しかし、誰もが為し得る道ではない。

◆日蓮大聖人さまの南無妙法蓮華経は、信の仏教である。信を以て慧に代える。信に戒と定とが包含される。

◆信は、人類の有する最後にして最高最大の力である。私たち人間が、神の最高の生命表現であることを信ずること。このことこそ、教主釈尊に始まり、日蓮大聖人さまに至って大成された信なのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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