天下万民諸乗一佛乗とてなりて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と
唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土壌をくだかず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理を顕さん時を各各御覧ぜよ。現世安穏の証文疑あるべからざる者なり。
『如説修行鈔』
文永10年5月。祖寿52歳。全:p512 定:1巻p733
吹く風枝をならさず、雨土壌をくだかず
日本は災害大国です。今年に入ってからも、大阪北部地震、西日本豪雨災害、北海道胆振地震など、大災害が続いています。
東日本大震災の際、石原都知事(当時)の発言が切っ掛けとなって、「天罰論」が話題となりました。『立正安国論』などに見られる日蓮大聖人さまの思想はその典型として論議されたところです。
災難を仏罰と見做すべきかどうかのお話はまたの機会といたしますけれども、上の聖文によれば、お題目の信仰が行き渡った暁には、理想世界が実現し、不祥の災難は起こらなくなる道理です。
風を受けても木々の枝が音もたてない、というのはもしかすると文学的な表現かもしれませんが、ここに説かれているのは、常楽我浄(常=常住不滅の生命、楽=無苦安楽の生活、我=自主自由の立場、浄=清浄平安の楽土)の理想世界を別のことばで表したものであり、こうした世の中が必ず実現すると、大聖人は確信されておられました。
常楽我浄は寿量ご本仏の本質です。ご本仏は現象世界(此の世)を生み出す本体界です。私たち一人ひとりはご本仏の分霊であり、本体界とは私たちの九識(心の最奥)そのものです。だからこそ、私たちは常楽我浄を理想(究竟目的)とするのです。
問題は、人類の行き着くところは必ず理想世界であるとしても、現実の私たちはその途上の段階に生を得ている、ということです。
どうしたら、途上にいてもゴールにいるのと同じ状態にいられるようになるか。ここに宗教の最大課題があります。
南無妙法蓮華経の祈りに徹する。それが答えです。ご本仏と一体となり、即時に常楽我浄が実現します。必ず神秘現象が起こり、救済があります。
風が枝を鳴らす音すら本当に聞こえなくなる筈です。疑いあるべからず。