※1月号の首導月訓は休載のため、年頭所感を掲載します。
平成30年 謹賀新年
神仏からたくさんの「善哉」をいただく一年に
日蓮宗霊断師会相伝宗主
日蓮宗聖徒団首導
髙佐日瑞
明けましておめでとうございます。
平成30年の年頭に当たり、全国の聖徒各位、ならびに霊断師各聖の、本年のご多幸と、各聖徒団のますますの隆昌を心よりお祈り申し上げます。
さて、昨年「インスタ映え」が流行語大賞を受賞したことにも象徴されるごとく、世はSNSの時代のようです。
SNSというのは、インターネット上で社会的ネットワークを構築できるサービスの総称であり、インスタグラム、略してインスタは、写真を主にしたSNSの一つです。
社会的ネットワークと言うと難しく聞こえますが、要するに人間関係のことであると言って宜しいのでしょう。現実世界では繋がることが難しいような人たちとも関係を作れることがSNSの魅力とされます。そして、行き着くところは、なるべく多くの「いいね」ボタンを押して貰いたい、つまりは、多くの人に認めて貰い、褒めて貰いたい、ということであるとも言われています。
批判しているのではありません。人は誰でも、他人に認められたいと思うものです。これは、「尊敬されたい」という本能から来るもので、極めて自然なことです。本能とは、本来の能力という意味で、決して悪いものではありません。むしろ生命の絶対原理であり、本能に逆らったのでは人間の生活は成り立たなくなってしまうのです。
実は、この「尊敬されたい」という本能は、他の鳥獣には見られないものであり、人間としての生命の真の存在意義ともなるべきものです。
ただ、本能には、盲目的なところがあります。「尊敬されたい」本能をそのまま発動させっぱなしにしてしまうと、高慢になったり横柄になったり、かえって尊敬を失うような拙劣な行動につながってしまうことすらあるのです。
ですから、「尊敬されたい」本能を上手に活かすことが大切です。
「尊敬」される人とはどういう人でしょうか。答えは簡単。世のため他人のために尽す人です。
大乗仏教には、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜の行がありますが、このうち、布施こそが利他、世のため他人のための行です。
布施とは、寺院に金品をお供えすることだけではありません。法施、財施、身施、無畏施、細かく分ければまだまだあります。いま詳説する紙数がありませんが、こうした布施のできる人になることこそ、人生の面目であり、この世に生まれ出た本望なのです。良き社会人となり、世の中を理想に近づける、生命の約束です。
施しは程越しの心構えで、と言われています。無理をする必要はありませんが、自分に甘えず、ちょっと背伸びをして、利他の行を行う。そうすれば、少しずつでも人生の目的が成就され、「尊敬されたい」本能をも満足させて行けるのです。
SNSをしていてもいなくても、神仏からたくさんの「善哉」を頂戴できる一年といたしましょう。